多様性の問題への解答スケッチ

 「生物多様性(biodiversity)を守ることが生態系を持続可能にする鍵だとすれば、一つの社会で人種の多様性(racial diversity)を守ることがその社会を持続させる鍵である。」という言明が真かどうか答えなさい。これが昨日の私の「多様性の問題」でした。読者に解答を考えてもらうだけでなく、私自身も解答を考えると書いた手前、黙っている訳にもいきませんので、解答のスケッチを記しておきましょう。高校生向きではありませんが、杓子定規に私の解答のエッセンスだけスケッチしてみると、次のようになります。
 Aが「生物多様性(biodiversity)を守ることが生態系を持続可能にする鍵」で、Bが「一つの社会で人種の多様性(racial diversity)を守ることがその社会を持続させる鍵」で、ABが真なら、現在Aを真とする経験的事実が圧倒的だという中では、Bが論理的に真だということになってしまいます。でも、Bが真だと相当に多くの人が主張するにもかかわらず、それを否定する白人至上主義者が後を絶ちません。ということは、Aを真だとする白人至上主義者はBを真だとは認めませんから、彼らはABを真だとは認めないということになります。つまり、Aが真でもBは真でないことがあるということです。
 あるいは、リベラルな人たちが考えるようにBが端的に真ならどうでしょうか。その場合は、Aの真偽に関係なく、ABは真です(どうして?)。では、Bが真である可能性はあるのでしょうか。Bは「人間の集団の中の変異を守ることがその集団の持続を可能にする」ことであり、「集団が変異を含むほど進化の可能性をもつ」ことにつながっていて、これは正にダーウィンの考えでもあります。
 ところで、生物多様性と変異の存在は異なった事柄です。生態系の中に異なる生物集団が共存することが生物多様性の重要な意味の一つですが、変異は一つの生物集団内の個体差(個人差)のことですから、二つは違った事柄なのです。ですから、生物多様性と変異の存在の間には論理的な繋がりはありません。つまり、ABBが真であるゆえに真だということに過ぎなく、ABの間に「ならば」を使う経験的な理由はないのです。
 以上のような部品のスケッチを組み合わせると、多くの人が容認可能な答えを考えることができるのではないでしょうか。現在支持の多い解答は白人至上主義者の解答ではなく、ダーウィン風の解答です。ダーウィン風の解答は確かに論理的な形式としてはABを真だとするのですが、肝心なことはABが論理的に無関係で、端的にBが真だということです。
 論理的な話に終始しただけと感じる人がきっと多い筈です。これが哲学の悪い癖で、屁理屈だらけと貶されるだけで、決して好印象は与えません。でも、論理的な事柄の背後にあるのは科学的事実とそれに準じる概念です。それらをどのように正しく使うかという点で、論理がひょっこり顔を出すに過ぎず、それを書いただけなのです。
 大切なことは問いとその解答に登場する諸概念と私たちとがどのようにつき合うかということです。つまり、生物多様性、持続可能性、人種の多様性といった疑似科学概念と、これまで私たちが長い間使ってきた自由、平等、人権といった市民社会を支えてきた概念との確執をきちんと腰を据えて考えることです。