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学習の変遷

 20世紀後半からの情報革命は目覚ましい。コンピューターを中心に情報や知識の扱いがすっかり変わり、社会はいつの間にか情報社会と呼ばれている。情報や知識の変化に応じて学習形態はすっかり姿を変えた。そのせいか、昔の学習の仕方、使ったテキスト等が最近しきりに思い出されてならない。「手仕事の学習」という表現がピッタリするのがかつての学習の姿だった。
 私が学んでいた頃の大学の授業ではすべて手書きで、教師が黒板に板書する事柄を一心不乱にノートに書き写したものだが、今はすっかり変わってしまった。PowerPointで授業が進められ、ビデオが使われ、画像は机に設置されたモニターで見ることができる。さらに、e-learningという言葉がすっかり定着し、通学教育と通信教育の垣根は随分と低くなってきている。少し工夫すれば、世界中の主な大学の授業がe-learningによって受講可能なのである。何とも便利な時代になったものである。
 語学授業は読み、書き、話すことが基本になり、かつてのようにもっぱら訳読の授業は少なくなった。そのためか、外国語のテキストを正確に読むことは戦前の学生より劣る場合が増えたようである。「原典講読」という、なんとも直接的な名称の授業などなくなった。私の場合の原典講読は、文字通り有名な哲学者の原典を読んで訳すだけの授業で、その結果、「誰の哲学を学ぶか」が大学での哲学研究な中身となっていた。「原典講読」でいきなりベルクソンのIntroduction à la Métaphysiqueを読まされたが、「ベルクソン哲学」が私の研究にはならなかった。
 数学や科学は自前で学習が基本で、もっぱらテキストを読むしかなかった。そんな中で大きな影響を受けたテキストが二冊ある。ShoenfieldのMathematical LogicとThe Feynman Lectures on Physics。どちらも今でも買えるどころか、後者はfeynmanlectures.caltech.eduで読むことさえできる(ぜひ試してほしい)。現在はWeb上で様々なテキスト、文献、資料が手に入る。これは私が学生時代にはなかったことで、50年前はもっぱら図書館で現物を読むしかなかった。何しろコピーさえ高価で、ゼロックスのコピーなど滅多にできなかった。今はコンビニで簡単にコピーでき、メールで文献を送ることができる。学生時代によく国会図書館に通ったが、それは必要な論文のコピーをするためだった。それが今ではe-journalが普及し、自分の部屋で簡単に論文を読むことができ、信じられないような違いである。
 最近よく参考にするのがMotion Mountainというfreeのテキスト(motionmountain.netで検索し、読んでみてほしい)。とても大部のテキストで、物理学の全領域がカバーされている。一部日本語訳まである。カラーの図版が多く、内容は極めて哲学的。本にするなら何冊にもなり、とても運びきれない重さだが、そんな苦労無しに楽しむことができる。
 学習の内容も確かに変化してきている。20世紀前半は物理学がダントツの主役だったが、後半に入ると分子生物学が台頭してくる。さらに情報科学、コンピューター科学が勢力を拡大し、環境科学も多くの関心を集めるようになってきている。
 学習の仕方も内容も変わり続けているが、それらが人の好奇心から生まれていることは変わらないようである。