閑さや岩にしみ入る蝉の声

 何という清閑さか、蝉の鳴き声だけが、岩の中にしみとおっていく。How still it is here... Stinging into the stones, The locusts' trill.(おくの細道 ドナルド・キーン訳、sting突き刺さる、locustセミ、trill震えるような声、声を震わせて歌った歌声、他の英訳Deep silence, the shrill of cicadas, seeps into rocks. Stillness penetrating the rocks, the voice of a cicada.)

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奥の細道行脚の図 芭蕉曾良 森川許六作)

 深川から旅立った松尾芭蕉が元禄2年5月27日(1689,7月13日)に山形の立石寺に参詣した際に詠んだ発句で、『奥の細道』に収録されている。随伴した河合曾良が記した『随行日記』では「山寺や石にしみつく蝉の声」とされている。『奥の細道』の中でも秀吟の句。
 この句解は意外と難しい。というのも、この句は随分と推敲されたからである。曾良の書留によれば、最初は「山寺や石にしみつく蝉の声」であった。ここでは、上五は「山寺や」となっている。この時、芭蕉が最も重視したのは、挨拶。立石寺の俗称である「山寺」を使って、「山寺や」と呼び掛けるのは、最上の挨拶。中句で、「石にしみつく」と表現したのは、立石寺の寺宝百丈岩を詠んだもの。上五で立石寺全体を、中句でそのシンボル百丈岩を抜かりなく表現しようという芭蕉の意図がわかる。下句「蝉の声」は平凡に過ぎる。「蝉の声」を読経に比するのは、既に「蝉の経」という言葉もあり、ありふれた表現。
 そこで、再案は「さびしさや岩にしみ込む蝉の声(『初蝉』)」。上五「山寺や」が「さびしさや」に、中句「石にしみつく」も「岩にしみ込む」と変更。初案で、「山寺や石にしみつく」と二重にあった立石寺への挨拶を「岩にしみ込む」だけに改め、「山寺や」を「さびしさや」にしたことで、具象性を重んじた句から抽象性を帯びた句へと変容。
 さて、最終案は「閑さや岩にしみ入る蝉の声」。で、単なる寂寥感を訴えたに過ぎない「さびしさや」より、見た目の清閑なさまを表現する「閑さや」によって、視覚と聴覚による知覚の景色を手に入れ、情感と一体となる感情移入に成功する。また、「しみ込む」という俗語を避け、「しみ入る」に改めたことによって、より印象の深度が増し、句が落ち着いた。断続するサ行音によって「しみ入る」感覚の澄明幽遠さが詠われ、蝉の声のかまびすしさがきわまる所に浄寂境があるという世界観が表現されている。

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立石寺

 だが、良いことばかりではない。初案「山寺や石にしみつく蝉の声」は、秀句でわかりやすい。ここでは、生きた蝉の声が聞こえてくる。立石寺への挨拶も「山寺や」、「石にしみつく」と二重にあって、最上の挨拶となっている。それが、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」では消えている。何より、「山寺や」が「閑さや」となって、初案にあった山寺の臨場感が消え失せてしまった。平凡でも、作句の風情をよく伝え、感性の鋭い「山寺や石にしみつく蝉の声」と、『奥の細道』の構成を考慮し、句の普遍性に重きを置き、知性が介入した「閑さや岩にしみ入る蝉の声」とでは、どちらが優れているか簡単に決着しない。
 さて、山形市立石寺は巨大な岩山に林立する御塔群からなる。860年に清和天皇の勅命により円仁が開山したとされる、天台宗仏教寺院である。円仁はこの山を開くにあたって、岩壁の前で香を炊いたとされる。この岩壁は今でも『香の岩』として伝わっている。岩に香を炊くのは、古代からこの岩山が巨大な磐座(いわくら)として信仰を集めていたからである。この地はおそらく、仏教伝来以前の縄文の時代から続く磐座信仰の聖地だったのだろう。また、この寺院には奇妙な風習が遺されている。無数の岩に多くの洞穴があり、そこに五輪塔卒塔婆が供えられている。現在でも、死んだ人間の歯を奥之院に納める風習が遺されている。ここを訪れた芭蕉は永遠に続く『生と死』に向き合うことになった。そこに耳をつんざく蝉時雨である。古代のシャーマンや霊媒は太鼓や弓の弦を叩き、その単調なリズムの中で自らをトランス状態に導いたが、芭蕉もこの蝉時雨の中でトランス状態に導かれたと想像できないか。視聴覚器官を通して脳内神経が刺激され、エンドルフィンが作用し、ドーパミンが多量に放出され、宇宙との一体感を内観し、ある種の超自然的なエネルギーを強く感じ取ることになる。蝉の声は芭蕉をトランス状態に導く音であると同時に、生命の象徴でもある。そして、磐座は生命を超越した永遠の宇宙エネルギーに通じ、生命の象徴である蝉の声はその岩に吸い込まれ、そこへ帰っていく。

 このような芭蕉の創作の経緯、解釈を通じて、自然言語による現象の表現の優れた事例がどのようなものかを私たちは理解していると考えてきた。実際、上記のような説明が不自然ではない仕方で理解できてしまう。自然現象の本性などとはまるで関係ない仕方で、私たちは自然の真髄の理解なるものをわかった気になれる。すべて自然言語が生み出す不思議である。そして、芭蕉の句は彼が経験した自然現象の叙述なのか説明なのかと問われれば、知覚された通りに表現されたのではなく、芭蕉の世界観、人生観、文学観がすべてつぎ込まれたものであり、したがって、芭蕉自身の知覚経験を通じての、芭蕉独自の印象と感慨の芭蕉風の説明(蕉風)である。このように述べると、自然言語の人間的な使用の長所がはっきりする一方で、短所が隠れてしまう。私は昨日のノートで自然言語の貧弱さを書いたが、俳句の達人芭蕉にコインの落下運動の記述を依頼しても、運動の正確な記述ではなく、運動の意味を説明する巧みな謂い回しが戻ってくるだけだろう。私たちは芭蕉立石寺の風景をきっかけにして彼独自の心象風景を如何に巧みに表現したかに関心をもつが、立石寺のどのような風景が芭蕉によって正確に表現されたかには大した関心を示さないのである。
 私たちは自然言語を様々な意図のもとに使う。言語使用は必ず「何かについての使用」であるという意味で志向的である以上に意図的なのである。自然現象を客観的に記述しようとすれば、意図的な自然言語ではなく、普遍的で中立的、そして正確に表現できる言語が求められる。その結果の一つが数学言語である。数学という知識が私たちの私的意図をはねつける力をもっているために物理的な変化を思惑無しに(メカニカルに)表現できるのである。
 言葉がもつ異なる力を自覚しながら使い分けること、そのようなことが実際にできるのであれば、言葉の謎は一層深まり、それゆえ、好奇心はさらに強まることになる。言葉は私だけのものではないが、言葉を使って表現するという行為は私自身の行為なのだと思い込まれている。