言葉の貧弱さ:もっとずっと簡単な例

 俳句という多くの人が趣味にするような文学を例にしたのが昨日の大失敗。単純明快な例で、自然言語と数学言語の違いを際立てることこそ目的なのに、俳句に関する知識を援用することがそれを台無しにしてしまった。ここで謝っておきたい。知識に頼らなければ、貧弱な自然言語の非力さが際立ったのだが、俳句に関する知識がその非力をカバーしてしまい、効果は半減してしまった。だが、わかったことがある。芭蕉は言葉とだけではなく、それによって表現される知識とも格闘したのである。
 錯視画像についての言葉による記述と説明、さらには錯視画像を見る私たちの反応について語ること、それらを特別な知識(視覚心理学、幾何学認知心理学等々)をブロックして扱うとどうなるのだろうか。その前に、頭の体操として錯語言明(文法的でない言明)を見てみよう。各言明は奇妙なのか、そうでないのか。

象は鼻が長い
日本語は文法が曖昧である
今日の空は雲が多い
(これらの文はいずれも日本語ではまともな文で、日本人は有意味な文だと思っている。だが、各文の主語は何かを日本語を学習中の外国人に聞くと、彼らは困ってしまう。主語が二つ以上あっても構わないのが数学言語。)

今知っている
今走っている
今見る
(昨日は知っていなかったが、今日は知っている。今日は知らないが、明日は知っている。)

昨日も今日も走っている
今日も明日も走っている
(今日も明日も走る、と言うが、昨日も今日も走ると言うだろうか。つまり、今日も明日も走るが、昨日も今日も走るだろうか。)

 これで準備運動は十分かどうか確信はないが、錯視図形を見て、それがなぜ錯視なのかをきちんと説明できるかどうか考えてみよう。普通に使う日本語がどれだけの常識に支えられているか、簡単な思考実験をしてみよう。幼稚園児も小学生も日本語についてはエキスパートだが、一般的な知識は大人に遠く及ばない。その彼らに錯視図形の何がおかしいのか説明させると、おかしいことは知覚できているのにうまく説明できない場合がほとんどである。大人でも視覚の生理学や心理学の知識に疎ければ子供たちと大して違わない。

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 錯視図形を数学言語を使って克明に記述したら、何が矛盾するかわかる。どのように矛盾しているかが、複数の記述言明の論理的な矛盾からわかる。だが、日本語で錯視図形を述べた場合、矛盾は隠されてしまう仕方で語ることができてしまう。そのため、時には錯視を利用した芸術作品が称賛されることになる。

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 ブレイクの『ニュートン』(1795年)。薄暗い海底で、ニュートンがコンパスを用いて物質世界の解明を試みており、その体は岩と同化しつつある。科学主義への痛烈な批判である、というのがこの絵の説明なのだが、科学主義の何がどのように正しくないのかが、描写されてもいないし、説明されてもいない。比喩、象徴、暗示によって絵を観る者にわからせる巧みさは画家の力として称賛に値するのだが、科学主義の何が誤っているかを明示的に描いているのではないことを白状すべきなのである。何が誤っているかを明示するには科学者として同じ研究をするという文脈の中で勝負しなければならない。だが、ブレイクは絵を描き、詩をつくることしかしなかった。
 原子論は科学だけでなく思想としても魅力的だった。だが、「物質はみな原子からできている」というテーゼを真剣に知ろうとすれば、涙ぐましいほどの長い研究が必要だった。その足跡は、19世紀に入ってのドルトンの原子説、ファラデー、電気分解の研究、イオンの導入、そしてメンデレーエフによる元素の周期表に続いて、
1891年 ベクレルがウラニウムから自然放射線を発見
1895年 レントゲンがX線を発見
1896年 ベクレルが放射能を発見
1897年 J.J.トムソンが電子を検出
1900年 プランクが量子仮説を導入
1905年 アインシュタインが光量子仮説と特殊相対性理論を発表
1911年 ラザフォードが原子核を発見
1913年 ボーアが量子法則を原子の構造に適用
1914年 ミリカンによる電子の電荷の測定
1915年 アインシュタイン一般相対性理論を完成
1919年 ラザフォードが原子核理論により陽子を発見
1923年 粒子と波の二重性が明らかになる
1924年 電子のスピンが検出される
1925年 パウリが排他原理を提唱
1926年 ハイゼンベルグが量子力学行列力学的に解釈
1926年 シュレーディンガー量子力学波動力学的に解釈
1929年 ハッブルが膨張宇宙論を提案
1932年 陽電子およびチャドウィックのよる中性子の発見
1932年 ハイゼンベルク原子核模型
1934年 湯川が核力に関する中間子論を発表
1937年 ミュー粒子の発見
1947年 ストレンジ粒子の観測
1947年 パイ中間子も発見
1955年 ビッグバン理論の登場
1956年 反電子ニュートリノが検出される
1963年 ゲルマンとツヴァイクが独立にクォーク仮説を提案
1963年 オメガマイナスの発見
1967年 ワインバーグ、サラムによる電磁力と弱い力の統一
1968年 ブラックホール発見
1971年 最初のコライダーISRの完成
1974年 ジョルジとグラショウが電磁力と強い力の統一理論を発表
1974年 陽子の中を探る実験でクォーク発見
1974年 チャームをもつ中間子発見
1983年 陽子、陽子コライダー、デバトロトロン完成
1985年 グリーンとシュワルツが超ひも理論を発表
1993年 アメリカ超伝導陽子・陽子超コライダー完成
1994年 トップクォークの発見
等々で、まだまだ続く。「物質が原子からできている」ことがどのようなことか記述し、説明するためにこれだけの積み重ねがなされ、それでもまだ足りないのである。そこでの言葉の力など無に等しく、正に言葉を失うことによってしか知識は得られなかったのであり、それゆえ、言葉に失望することによって新しい表現を獲得できたのである。
 自然言語は貧弱であるゆえにどんな知識ともうまくやれ、新しい知識を貪欲に吸収できるのである。