1905年

 相対論の登場は1905 年のこと(A.Einstein, Zur Elektrodynamik bewegter Körper(運動する物体の電気力学について), Annalen der Physik, 1905, 17, 891-921.)。20 世紀に入ると、相対論と量子論という二つの大きな科学革命が物理学の中で起こります。当時の物理学が直面していた大きな課題に対して、まずはアインシュタインが革命的な答えを出すのです。
<20 世紀初頭の物理学が直面した問題>
 19 世紀の物理学の主役となれば、電磁気学と熱力学。電磁気学は、電流や電磁誘導といった電気回路や静電気・磁場に対する理解の側面と、電気分解や分極、陰極線の発見といった物質の性質に関わる側面との二つの側面で発展しました。これらの結果は、マクスウェル による電磁気学に結実し、それはさらにヘルムホルツ、ヘルツ、ローレンツらによって整備されていきます。熱力学は、熱と仕事・エネルギーの関係、クラウジウスによるエントロピー概念の導入、そして、マクスウェル、ボルツマンによる気体分子運動論へと発展しました。これらの発展は、当時の産業革命による要請と、実験・観測手段の飛躍的向上、科学的・技術的な研究体制の進歩に支えられたものでした。
 ニュートン以来物理学者が常に研究の対象としてきたのが光。その光についての理解は飛躍的に向上し、マクスウェル理論からの電磁波の予言と、ヘルツの実験における電磁波の観測によって、光を電磁波と捉えることが一定の成功を収めます。それと同時に、このような発展を支えた19 世紀の産業革命は物理学を発展させるだけでなく、その重大な矛盾や限界も明らかにしたのです。
 その一つは光と電磁気学に関わる事柄で、それは光を観測するときの観測者自身の「運動」の効果についてです。例えば、時速100km の車を時速50kmの車で追いかければ、その差は時速50km。でも、光の速度の観測には、たとえば地球の自転や公転といった効果はなんら登場しません。光が電磁気現象として理解できるなら、光の観測でも相対的な運動のみが現れるはずです。
 もう一つの矛盾は、光と熱力学に関する問題。熱した物体は、その温度で決まった色の光を放出します。これは「黒体輻射」と呼ばれ、溶鉱炉のなかで熱せられた鋼鉄の温度をどう測るか、といった問題に直結します。この温度と色(光の波長)との関係を、当時の熱力学と電磁気学から導き出そうとすると実験結果と合わないどころか、無限大の発散を含んでしまうことがわかり、物体が電磁波を放出する仕組みについて、マクスウェルの理論が十分でないことを意味していました。
 このような物理学の直面する困難に関して、前者に関してはローレンツポアンカレの電子論が、後者に関してはプランクの量子論が解決の糸口を示していました。そのような中で、1905 年アインシュタインによる三つの論文が発表されることになるのです。
<1905 年:アインシュタインの三論文>
 アインシュタインは、1905 年に次の三論文を発表しました。そして、1905年は物理学にとって途轍もない年になったのです。
1. 光の発生と変換に関する一つの発見的な見地について
(A. Einstein, Annalen der Physik, 17, 132-148,1905)
2. 熱の分子論から要求される静止液体中の懸濁粒子の運動について
(A. Einstein, Annalen der Physik, 17, 549-560, 1905)
3. 運動する物体の電気力学について
(A. Einstein, Annalen der Physik, 17, 891-921, 1905)

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(1905年のアインシュタイン

 最初が光量子仮説に関する論文、二つ目がブラウン運動に関する論文、最後が相対論に関する論文。これら三つの論文はアインシュタインの中で密接な関係を持っていたと考えられます。マクスウェルの電磁気理論は電磁波の存在を予言し、その放出や吸収についても一定の結果を出しています。でも、光量子仮説は光の放出・吸収過程について、マクスウェルの理論では不十分であることを示唆しています。アインシュタイン以前にこれらの問題に取り組んでいたローレンツポアンカレは、あくまでマクスウェルの理論に合わせたモデルを構築しようとしていました。でも、アインシュタインはマクスウェル理論ではなく、よりシンプルな「光速度不変の原理」を前提に置きました。アインシュタイン電磁気学の方程式は暫定的なものだと考えていたのです。
 また、次のブラウン運動の研究も、当時まだ十分受け入れられていなかった分子論と熱の統計理論の有効性を示すことによって、粒子的な世界観とそれに基づく統計的な手法が物理学にとって基本的だということを示したかったのではないでしょうか。ここには、光量子仮説によるプランク分布の説明、後に光を「光子気体」として論じる相対論の議論等、アインシュタインの思考方法に共通するものが見られます。「マクスウェル理論を不変にする理論として作られた」というのが、よく見かける相対論に関する説明。確かに、アインシュタインの著書(『特殊および一般相対性理論』)では、「相対性理論は電気力学と光学から生まれ育ったものである」という記述があり、相対性理論の構築においてマクスウェル理論の果たした役割が繰り返し強調されています。でも、実際の相対性理論での議論の運びでは、ローレンツ変換を導出する際にはマクスウェル方程式を用いず、ただ光が一定の速度で進むということしか用いていません。ローレンツら先駆者たちに対するアインシュタインの独自で革命的な考えがここに表れています。ローレンツ電子論の目的は、マクスウェル方程式を出発点として、それと電磁気現象の相対性や光学現象に関する実験結果を矛盾なく結びつけるような「電子モデル」を作ることにありました。でも、アインシュタインはいくつかの光に関する知見から、マクスウェル方程式が不十分だとわかっていました。その結果、マクスウェル方程式ではなく、「光の速度はいかなる慣性系から見ても一定である」ということを出発点として選んだと推測できます。ここにあるのは重大な論理的転回です。そこには実験結果と物理学の諸概念、双方に対してどう向き合うか、という哲学的な問題が横たわっています。
 マクスウェルの電磁気理論がなければ相対論の誕生はなかったというのが歴史的事実。しかし、相対論を理論的に組み立てるに際し、マクスウェルの方程式は必須という訳ではありません。アインシュタインには、すでに光量子仮説などを通して、マクスウェル理論の限界がわかっていました。彼は相対論を作り上げたのち、電磁場と重力場の統一理論を追い求めました。つまり、マクスウェルの理論もなんらかの変更を加えるべきものという認識があったのです。今から見れば、マクスウェルの方程式は非量子論的な極限で成り立つもの。一方、現代物理学において、方程式がローレンツ変換に対する「不変性=光速度不変の原理」を満たすことは、基本方程式の持つべき性質として常に要求される、根本的な指導原理となっています。相対論の諸原理は、物理学におけるもっとも深いレベルの法則なのです。
<物理学における二つの潮流>
 近代以降の物理学がテーマにしてきた三つの事柄について述べておきましょう。まず、世界がどのように作られているのかについて、粒子的世界観と連続(体)的世界観があります。世界が分割不可能な構成要素(原子)からなるという考え方はギリシア時代にまで遡りますが、原子論的世界観がいつも支配的だったわけではありません。むしろ、世界は連続的で、水や空気のように空間は満たされているという考え方が支配的な時期の方が長かったのです。19 世紀になっても、マクスウェルの電磁気理論は連続的な世界観に近く、電荷や電流は電磁気現象にともなって現れる連続的な存在とされていました。一方、化学における原子・分子の概念の発達や、陰極線の発見に端を発する電子の発見は、粒子的世界観を復活させました。電気が微小な単位をもつという認識は、電荷の担い手が流体でなく何らかの粒子であることを示唆します。そして、荷電粒子とその間に働く力として電磁気現象を捉えるという、粒子論的な世界観にたったローレンツの電子理論が登場することにつながります。近代的な原子論・分子論は18 世紀から存在しましたが、20 世紀に入っても分子の実在は疑われていました。アインシュタインブラウン運動の理論は分子の実在性に関しての大きな後押しとなりました。
 次の事柄は、力(作用)の近接作用論と遠隔作用論です。アリストテレスの時代では、力として物体を直接押したり引いたりするものが考えられました。当時はまだ「力=運動の原因」と考えられていて、投げられた物体が飛び続けるのは空気によって後ろから押されるからである、などと考えられていました(インペトス理論)。これを転換したのがガリレイで、彼は重力が物体に及ぶ機構、何に押されたり引かれたりしているのか、ということを問題にしませんでした。ニュートン万有引力の法則も、太陽と惑星など、大きく隔たったものの間に働く力として考えらていました。どのように力が伝わるのか、ということには目をつぶって、物体間に力が働いているという現象面に焦点を当てたところに、ガリレイニュートンの成功がありました。一方、デカルトは機械論的に物体間をどのように力が伝わるのかを問題にしました。空間を満たす歯車の集合体のようなものを考え、万有引力が伝わるモデルを考えたりしましたが、成功しませんでした。19 世紀の電磁気学に関して言えば、マクスウェルの電磁気理論は近接作用論的であり、ヘルムホルツのポテンシャル理論などは遠隔作用的な構成になっています。粒子的世界観に立てば、粒子と粒子の間には空虚があり、そこを超えて力が働くという遠隔作用論が採用されることになります。一方、連続的世界観においては、その連続体を伝わる力という形で近接作用論が採用されることになります。
 さらに、これに関連するのが、光の粒子説と波動説。光の正体が粒子なのか波動なのか、という問いは物理学において長らく論争の的でした。世界が粒子で作られているならば、光も粒子だと考えるでしょう。一方、世界がなにか連続的なもので満たされているならば、それを伝わっていく波動として光を考えることができます。ホイヘンスによる光の波動説による諸現象の説明と、電磁波としての光の説明によって、一時は波動説がかなり有力でした。でも、光量子論は波動説の限界を示唆し、粒子論的な側面を支持するものでした。もちろん、この二分法は絶対的なものではありませんが、物理学の議論がどのような世界観に立脚して立てられているのかということを哲学的に理解するには、それなりの役割を果たすのです。
 20 世紀初頭、つまり1905年に現れた相対論と量子論は、これら二つの流れの中の論争から生まれ、それらの矛盾を乗り越える理論となりました。相対論は世界を満たす連続体としてのエーテルを否定。でも、その一方で、光の速さが有限で、それを超えることができないという帰結は、無限の空間を飛び越えて瞬時に伝わる遠隔作用も否定されます。結局、量子論において粒子説と波動説は統一され、場の量子論は相対論的な因果律を満たす近接作用論として構築されることになるのです。