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豊洲市場のジョギング

 眼前の豊洲に横たわる建物群を眺めていると、不気味なほどの静寂とテレビや新聞での解説や議論の喧噪とのコントラストがくっきり浮かび上がり、憂鬱な焦燥感に襲われる。老人が何か言っても無駄なことだと思いつつ、識者たちの議論を聞いていると、春の来ない新市場の周りをジョギングするのは健康に悪いことなのかと愚痴りたくなる。移転の議論は過去の経緯や誰の責任かという問題と絡み合い、混迷の闇の中で迷走するばかりで、まともにジョギングさえできていない。ジョギングしながら移転について去来することなど大したことはないのだが、去来した一端を忘れないために挙げてみると…
1無知の知
 誰が関わり、何がどのように決められたかをまずは忘れ、現在の姿だけを見て、目的に照らして何をするか決定する。現状を正しく把握するためには歴史は雑音。移転の是非の決定に過去の歴史は有害。
2知の選択
 現状を把握するにはあらゆる知が必要と思われている。では、決定に必要な知も同様だろうか。決定には知の絞り込みが必要。現状把握の核になる知は科学的な知であり、リーダーの決定にも科学の知は不可欠。
3目的の重なり
 何かを決定し、実行することは別の大きな目的のための過程で、より大きな計画の中の歯車の一つ。だが、その目的が判断をする個人の目的と重なり合うのが人の不思議な点。社会の目的と個人の目的が重ならないところに人の世の面白さがある。
4罪と責任
 罪を犯すことと責任を取ることが同義なら、何ら問題はない。法によって行為の是非が決められるなら、自由意志が働く余地はない。自由に行為できることは、法によって決められない行為を許し、その行為の良し悪しは法ではなく、倫理的判断。

こんな訳の分からないことをつらつら思い浮かべながらのジョギングはやはり不健康なのだろう。そのためか、このところの新市場の周りのジョギングは楽しくない。

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(水産卸売り棟)

 

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(市場の端の公園、造園中)