あなたは誰の言葉を信じますか?

 「信じるのは預言者の言葉であり、科学者の言葉は信じるのではなく、知るのだ」というのが一般的な了解のようです。ですから、この了解を信じるなら、こんな問いには大した意味などないのですが、「信じる」ことが多義な意味をもっていて、そのために同じ人でも文脈や状況が異なると異なる答えをしてしまうことがあります。私も然りで、科学者の言うことを信じながら、絶望の淵では藁にも縋る思いで、預言を信じてしまうのです。
 でも、預言、予言、予測を信じて何か不都合があるのか、それらを疑うことによって何が良いのか、誰もそんなことは大して気にかけないようです。予兆、吉兆、凶兆、正夢、逆夢といった言葉はとてもロマンティックな響きをもつと感じている人は少なくありません。それら言葉は未来や未知のものへの不安、期待を表していて、今でも立派に現役の語彙です。でも、科学者が毛嫌いする言葉であるのもほぼ確かでしょう。その科学者も、予測、推定となれば、たとえ統計的なものであっても、信用する筈です。
 日常の常識と科学的な知識の関係を垣間見ることができるのがこれら予兆に関する事柄です。代表的な凶兆のシンボルとなれば、流れ星。これが「流星群」となると、予兆ではなく、天文学的な事実として理解されます。妖しい流れ星と言う常識と流星と言う科学知識が両立するような仕方で共に存在しています。何とも不思議なことですが、私たちはそれに大変寛容です。さて、そこで取り上げてみたいのが「竹の花」。

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 美しい竹林は、特定の周期で一斉に花を咲かせます。竹類はイネの仲間ですから、発芽してから長い年月、地下茎によって繁殖を続けます。そして、ある一定の時期に達すると、花を咲かせ種子を実らせて、その一生を終えます。一斉に花を咲かせた後、すべて枯れてしまうのです。その周期はモウソウチクは約60年、マダケの場合その周期は120年程度と言われています。竹の開花は、「竹の死病」とも言われるほど被害が甚大で、竹林がまるまる消えてしまうため、元のかたちに回復するまで20年ほども要するといわれています。そのため、昔から、竹や笹に花が咲くと凶事の前触れ、凶兆と恐れられてきました。

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 では、竹が花を咲かせる理由は何なのでしょうか。無性生殖だった竹林が 最期に開花することでオシベとメシベが交配し、実を結び種となって新しい竹林を作る準備をします。筍(たけのこ)は一個体の地下茎から直接生えてくる無性生殖で、いわばその竹林のクローン。竹林はその個体の最後に、若い竹も古い竹も一斉に花を咲かせ、そして枯れてしまいます。花を咲かせなくても子孫を殖やしていけるのに、稀に花を咲かせ、しかも枯れてしまう。これは何ともミステリアスな出来事です。無性生殖ばかりだと環境の変化に耐えられないので、有性生殖をするというのが今の説明です。竹は種族の保存のために危機に瀕した時に花を咲かせるという訳です。この科学的知識からは竹の開花が凶兆だという常識は出てきません。それどころか、凶兆と言う常識は誤りだということになります。
 多くの言葉が習慣や言い伝えを表現するのに使われ、それが常識として認められ、社会で通用してきた巧みな知恵なのですが、科学的な知識に基づく予測とは一線を画しています。そのため、星占いと天体の運行計算は似て非なるものですし、竹の花は竹の存続に不可欠なもので、竹にとって凶兆ではないのです。にもかかわらず、それらが凶兆であるという常識が混在し、時には互いに協働して使われています。そして、それこそが私たちの日常世界の不思議な特徴なのです。
 このように見てくると、私たちの信じるという行為(信念を持つこと)は一貫した基準に基づくのではなく、両立しない基準を文脈に応じて使い分けていることがわかるのではないでしょうか。ですから、私たちは違うことを主張する二人の両方を信じることができるのです。私はこれが人生不可解の一つの理由だと思っています。