「樽」と「桶」の違い:その寓話

 樽と桶はどこがどのように違うのか。改めて問われると、日常生活の中の謎の姿が浮かび上がってくる。どうでもよい問いなのか、それとも生活に根ざす本質を突いた問いなのか、人によって、状況に応じて、その解答は様々に変わる。そんな面倒くさい事柄よりは、まずは樽と桶の違いと巷で言われている内容をまとめてみよう。
 樽は酒や醤油を入れ、保存と運搬に使われる蓋のある容器で、桶は風桶や寿司桶など、蓋のない容器。木製の場合は、側板に板目板を使うのが「樽」、柾目板を使うのが「桶」。板目板は木目が平行でなく山形や波形をしたもので、水分を吸収しにくく、蒸発させにくい性質があるため、酒や醤油などの貯蔵に使われる。柾目板は木目がほぼ平行で均等に並んだもので、水分を吸収しやすい性質があるため、中身の出し入れが頻繁な風呂桶や水桶などに使われる。このように、基本的には蓋の有無や使用する板の違いによって、樽と桶は区別されるが、例外が多くあり、はっきり区別できないのが樽と桶である。漬物を入れる容器は、「漬物樽」とも「漬物桶」とも呼ばる。酒や醤油のように中身を取り出す際には穴を開け、蓋が閉じられたままのものであれば「樽」で間違いないが、漬物の容器は、保存時には蓋が閉じられているため「樽」、中身を取り出す際には蓋を開けるため「桶」とも言えて、区別が難しい。雨水を貯めておく天水桶は蓋があるものと無いものがあり、木製の場合は、水を長期に貯めるため板目板が使われる。棺「桶」の形は樽型である。ここまでの説明は退屈この上ないのだが、成程と思う人も結構いるだろう。

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 さて、二枚の写真を見て、「どちらが桶で、どちらが樽か」考えてみよう。木の板に注目してみると、最初が桶、次が樽。桶は柾目の板を使い、樽は板目の板。柾目の特徴は、反りやくるいが少なく、桶など液体のものを入れるための容器として液体を逃がさないように柾目材を使用してきたようである。樽は桶に比べ長期間液体を保管する時に使われる。板には表と裏があり、反る方向が表と裏で違う。樽は、その表と裏を交互に使うことで反る方向が逆のためにブロックされて、水分が漏れ出すことを防いでいる。先人の知恵は見事なものだと感心するのもいいが、樽と桶を峻別する肝心のものとはいったい何なのかと問い詰めていくと、次第にわからなくなっていく。
<寓話>
 桶と樽がどのように異なるか、その歴史はどうなっていたかなど、民俗学では格好の題材だと思われてきた。英語でも、樽はbarrel、桶はpail, bucket, tubと別々に呼ばれているから、日本語から生まれた特殊な事柄でもない。桶にはたらい、湯桶、風呂桶、手桶等があり、樽となれば酒樽や醬油樽が思い浮かぶ。とはいえ、今の若者にはいずれも使ったことがないような道具ばかりである。たらいで洗濯はしないし、醤油樽など見たことがない人がほとんどではないか。
 それらを実際に使い、慣れ親しんできた経験をもつ私の記憶を辿ってみると、桶と樽の区別が決定的に重要だという出来事を思い出すことができないのである。写真のような桶や樽は私自身実際に使ったことがあり、風呂で桶を使い、四斗樽に縄をかける作業など記憶にしっかり残っている。にもかかわらず、二つの違いを実感したことがないのである。
 我が家は私が子供の頃味噌づくりを生業にしていて、麹をつくり、大豆を煮て味噌をつくり、それを売っていた。だから、桶や樽が土間にたくさんあり、それらを日常的に使っていた。大きな桶に味噌を貯蔵し、味噌樽に味噌を詰めて運んでいた。大豆を煮る釜と桶や樽とははっきり区別できるのだが、桶と樽の区別は正直わからなかった。そして、それは今でも変わらない。蓋のある風呂桶と蓋のない味噌樽は私には当たり前だったし、味噌を貯蔵するのは大樽で、蓋がなかった。確か、我が家の風呂桶のたがは鉄線だったが、味噌樽のたがは竹だった。そんな程度が私の桶と樽の違い(?)で、違いがあるのかないのか、私の記憶の中では文字通り不明で、そしてどうでもよいのだった。
 これが意味しているのは何か。要は樽と桶は「いずれでも構わない」という意味であり、そこに注目してみると何が見えてくるのだろうか。「桶は樽ではない(あるいは、樽は桶ではない)」というような常識が集まって、それらが文化や伝統を形成しているとしたら、それが文化や伝統という習慣の本性を物語っている筈である。「桶は樽ではない、樽は桶ではない」といった常識を、後生大事にし、いつでもどこでも必ず守るというのは、実は盲信に過ぎないことがあるのだ(少なくとも私の記憶の中の桶と樽)という例になっているのである。
 この話は樽と桶に限られない。制服の色やデザインなど、学校を代表するという意味で重要なのかも知れないが、色やデザインなどいずれでも構わず、もっと大切のものがあるというのも別の例である。にもかかわらず、人はそれにこだわり、固執する。そんな厄介な常識の中の飛び切りのものは、国や地域、集団や組織を代表するシンボル、旗、…、つまるところは文化や伝統である。そして、実に多くの事柄について「どちらでも構わない」ものが「どちらかでなければならない」ものと考えられてきたのである。何か確固とした理由や原因がある訳ではないにもかかわらず、守られてきたものの中に、どうでもよいにもかかわらず、峻別され、区別、差別されてきたものが数多く潜んでいるのである。
 これを私たちは寓話と呼ぶ。