情報を様々に異なる観点から眺めると…  

 情報(information)と知識(knowledge)を殊更区別する必要などないのだが、伝えられた「情報を知る」とき、その情報は端的に知識なのだと胸を張って言い切るには何かが欠けているのではないかと一抹の不安は残る。だから、知られる前の情報とは何なのか、という問いに答えられれば、その不安も解消されるのだろう。そんな胃が痛くなる話の前に、情報の実態を社会科学的に、次に情報の本性を進化論的、情報科学的に確認してみよう。

(1)情報はどんな奇妙な性質を持つのか

 まずは、私が子供の頃の話。「ブラウン管がいかれてますね」と電気屋のおじさんに言われ、ばあさんが「随分長く働いてくれたから」と愛おしそうにテレビを撫でた。電気屋のおじさんは新しいテレビを買った方がいいと言ってテレビのカタログを出しながら、出張料金は1500円だと告げた。ばあさんは財布から1500円払ったが、子供の私にはどうして何も買っていないのに1500円払うのか解せなかった。

 カタログ以外、我が家に何か新しい「モノ」が残ったわけではない。だとすると、ばあさんが払った1500円は、「もう修理はできません」という「情報」の対価で、新しいのを買わなければならないということである。ばあさんの次の決断「新しいテレビを買う」ための「情報」の値段、ということになる。これは今の私の考えで、当時の私にはこの1500円が何に払ったのかわからなかった。

 私たちが売買できるのは三種類。「モノ」、「サービス」、そして「情報」。モノは物理的な対象であり、在庫が可能で、売る時には所有権を引き渡す。一方、サービスは在庫が不可能。スポーツトレーナーの仕事を考えてみれば、いくら土日が忙しくても、平日の内に働きだめして在庫を積み上げておくことはできない。サービスは「リソース」の占有権を売る商売なのである。では、「情報」はどうか。これが、なかなか一筋縄ではいかない厄介者。「情報」は森鴎外が、クラウゼヴィッツの『戦争論』を翻訳した際、Nachrichtを「敵情報知」と訳し、それが省略されたものと言われている。事実、戦後しばらくは、情報という語には独特の暗い影が付きまとっていた。現在の私たちなら「諜報」という言葉に同じ影を感じるだろう。

 情報という商品の特殊な性質の最初は、「人に渡しても手元に残る」ということ。「来週X社の株価が暴落するらしい」という情報は、ある種の人たちには大変な価値がある。この情報を誰かに高値で売っても、売り手の手元にもその情報はそのまま残る。このような性質のために、情報には「所有権」の概念があてはまらない。それどころか、さらにまた別の誰かに売りつけることができる。当然「在庫」の概念もあたらない。  情報の特殊な性質の二つ目は、内容を受け取らない限り、その価値は正確に判断できない、というもの。さらに、いったん内容を知ってしまったら、もうその情報の「返品」はできなくなる。ここに情報提供というビジネスの本質的な困難がある。「お代は見てのお帰り」方式は、リスクが大きくてなかなかできないのである。そのため、何とか事前に情報の価値の裏書きを得ようと、様々な品質保証の工夫がなされることになる。  三番目の特殊な性質は、知っている、知っていないという非対称性が存在しなければ、情報は機能しない、というもの。ある人が知っていることを別の人は知らない、といった知識のムラ、濃淡、高低があるために、情報が求められるのである。全員が知ってしまったなら、その瞬間にその情報は価値を失ってしまう。

 このような奇妙な特殊性があるため、社会科学ではまだ情報をうまく扱えていない。情報の「窃盗」に意味はあるのか、情報の「資産価値」はどう評価するのか、減価償却できるのか等々... それなのに情報はすでに巨大産業化している。私たちはこれをどう制御するのか。制御するためには、情報の本性を見極めなければならない。

 情報量については、エントロピーをつかった物理学的な定義がある。物理学は情報「量」については定義を与えるが、情報の「性質」については大して教えてくれない。情報量は、情報源の発する記号(符号)をもとに定義される。だが、そもそも記号(符号)化されていなくても情報は情報である。知覚経験のほとんどは記号の知覚ではない。何気ない仕草や目つき、食べ物の味や匂いから、私たちは実に多くの情報を得ている。  人間が感覚器官で受けとる情報は、光、音、触覚など微弱な物理的なエネルギーの作用である。味覚と嗅覚も、微弱な化学的ポテンシャルを検知している。この「微弱」ということも、情報の重要な鍵である。情報は大きな物理化学作用を必要としない。頭を思いっきり殴られたために「痛かった」という内部状態(記憶)が長く残った、あるいは記憶をすっかり失ってしまった、というのは情報の遣り取りとは言わない。つまり、情報とは僅かなエネルギーで受け手の内部状態を変えることが可能な働き、またはその結果の状態のことである。

 情報をこのように理解すれば、三つの特殊な性質をうまく説明できるのではないか。(1)「人に渡しても手元に残る」のは当然である。なぜなら、小さなエネルギーで相手の内部状態を変える働きが情報だから。もし、情報の伝達に巨大なエネルギーを要するとしたら、二度と他の誰かに渡すことはできなくなる。(2)「内容を受け取らない限り、その価値を正確に判断できない」のも当然である。なぜなら、受けとった結果として内部に生じる変化こそ、受け手にとっての情報の意味なのだから。(3)「非対称性が存在しなければ情報に機能(価値)はない」のも当然。すでに内部状態がAになっている人に向かって、「Aになれ」と伝えても何の変化も生じない。

 このような、情報を「内部状態の変化として解釈することは、現在有力な情報の「発生源を使った解釈と対立する。情報とその価値が発生源に依拠する、という議論は、情報の所有権的な考え方を通じて、ライセンスと知財戦略につながっている。これは、アメリカなどが国家的戦略としている「高度な知識を金にかえて世界を制覇する」という考え方である。ライセンスも知財も否定するつもりなどなくても、「知識に固有の価値がある」という見立ては間違いで、価値は受け手が(=その内部状態が)個別に決める、と考える方が健全なのである。

 ついでにいうと、記号(符号)化と言語化は、情報をひろく流通させるための仕組みでしかない。記号も言語も、発信者と受け手の共通基盤として存在する。だが、情報の受容結果は相手の内部状態の変化なのだから、言語化されていなくても構わないのである。   (2)情報とは何か  この問いは哲学的な問い。情報は生物の生死を決定する可能性のあるメッセージである。情報とは生物と生物の間で遣り取りされるメッセージで、最も典型的なものはDNA。DNAの情報は生物の生死を決定し、自然選択によって保存される。情報の最も重要な役割は、生物の生存に役に立つことであり、アナログ情報であれデジタル情報であれ、情報の価値とは生物の生存にどれだけ役に立つかである。まとめれば、情報の定義は以下のようになる。情報とは生物と生物の間でやりとりされるメッセージで、生物の生死に影響を与えるものである。 「情報とは何か」に対する解答はなかなか難しい。今の時代は情報が氾濫していると言われる。新聞、雑誌、テレビ、ラジオ等のマスメディアやインターネットの情報がある。このようなメデイアが伝える内容が情報。大辞林によると、「ある物事の内容や事情についての知らせ」となる。例えば、ラジオやテレビのニュースは主に言葉での知らせであり、新聞や雑誌では文字での知らせとなる。これらの情報は言語による情報だが、人間の情報の中で中心となるのは言語情報。情報理論創始者シャノンは、記念碑的な論文「通信の数学的理論」において、アルファベット26文字からなる英語の情報について考察した。 文字情報は典型的なデジタル情報である。 デジタル情報は基本的には自然数で表される情報。典型なものはコンピューターのデジタルデータで、0と1だけから構成されている。コンピューター上では、あらゆるデータが二進数に変換される。例えば、アルファベットは、アスキーコードによって0と1からなる数字に変換される。アスキーコードは、1967年にアメリカ規格協会が決めた、アルファベットを7ビットの2進数に変換するための規則。例えば、小文字のaは1000011となる。このように、あらゆるデジタル情報は自然数に変換できる。そして、あらゆる自然数自然数「1」の集合である。自然数は「1」から構成される。自然数を構成する「1」の性質として、プラトンは以下の三点をあげている。第一に「1」が分割不能であること、第二に「1」が変化しないこと、第三に「1」と「1」がお互いに等しいこと。これをアルファベットのAに適用してみる。第一にAは分割不能。分割すれば意味不明になる。第二にAは勝手に変化しない。第三にAとAはお互いに等しい。同様に、アルファベットの全ての文字はプラトンの三原則を満たす。文字情報は典型的なデジタル情報である。

 シャノンは情報量という概念を明確に示して、情報を数学的に扱えるようにした。情報量を定義したぐらいなので、シャノン自身の頭の中には情報という概念がはっきり存在していたはずである。ところが、シャノンは明確に情報という言葉を定義しなかった。それでも、シャノンは「通信の数学的理論」の中で最初に、通信の問題は情報源が発したメッセージを別の地点で正確に復元することであると述べている。  通信で伝えられるのが情報だから、情報はメッセージとなる。そして、情報源と情報を受け取る受信者は通常は人間である。時にコンピューターの場合もあるが、コンピューターは人間が設計したもので、ソフトウェアは人間の用途にあうように作られている。だから、情報とは人間と人間の間でやりとりされるメッセージであると考えられる。これはDNA以前の段階での情報の定義と見なせる。 1953年まではこの定義で問題は無かったのだが、1953年にワトソンとクリックがDNAの二重らせんモデルを発表すると状況は劇的に変化する。生命と生命の間で情報がやりとりされており、その中心であるDNAは典型的なデジタル情報だと分かった。DNAはアデニン(A)、チミン(T)、グアンニン(G)、シトシン(C)の4種類の塩基から構成されていて、各塩基はプラントンの三原則を満たす。ここではDNAに関して詳しい説明は省略するが、アルファベットやコンピューターのデジタルファイルはDNAに似せたものであると考えられる。コンピューターのデジタルファイルは0と1が一列に並んで構成され、英語の文章はアルファベットと空白が一列に並んでいる。同様に、DNAではA、T、G、Cが一列に並んでいる。これらの典型的なデジタル情報は、一次元の記号の並びとなっている。

 さて、情報の意味について考えてみよう。現在の生命が誕生した頃には、情報と呼べるものはDNAしかなかった。DNAの遺伝情報は生物の生死を決定し、生物は自然選択によって進化する。環境に適応した遺伝子を持った個体だけが生き残り増殖する。つまり、DNAの遺伝情報の意味とは、生物の生死に影響を与えることである。遺伝情報には致死的なものも、生存に有利なものもあるので、生存に有利なもののみが保存される。 これは文字情報にもコンピューターのデジタル情報にも適用可能である。例えば、戦争の場合、敵の位置を示す情報は多くの兵士の生死を決定すえう。他にも飛行機で空を飛ぶ場合、船で海を航海する場合等では、天候の情報は決定的に重要。このように遭難などの危険がある場合、情報が生死を決定する可能性が大きくなる。 それに対して、シェークスピアの戯曲等の情報は、人間の生死を直接的に決定する可能性は少なくなる。ところが、ハムレットを観劇に行く人は必ず料金を支払う。それによって、演劇に関わる多くの人が生活することが可能になる。つまり、金銭を通じて生存に影響する。これは他の芸術にも言えることで、お金を払う人がいないと芸術は成立しない。科学でも同様で、昔は王侯貴族が科学者のパトロンとなり、今では企業や国家が援助する。このようにあらゆる情報が金銭を通じて人間の生存に影響を与えている。だから、全ての情報は、少なくとも間接的には生命の生死に影響を与える。

 次にアナログ情報について考えよう。典型的なものは音声言語。言葉は発声した瞬間からアナログ情報になる。日本語の音声を聴く場合、日本人はデジタル的に言語音に分けて、言葉として解釈できる。例えば、日本人がマクドナルドと言うのを日本人が聴くと、マとクとドという風に一音ずつに分かれて聞こえる。ところがアメリカ人がMcdonaldと言うのを日本人が聴くと、どうしても上手く聴き取れないし、逆にMcdonaldを上手に発音できない。このように他国語の音声は完全にアナログ情報。つまり、外人にとって日本語は外国語だから、外人が聴いたならば日本語もアナログ情報。ということは、音声言語は全てアナログ情報で、自国語の音声についてだけは、アナログ情報をデジタル的に解釈しているのである。日本語の音声は、デジタル的に五十音として聞き取られることによって、意味のある言葉となる。つまり、アナログ的な音声は、デジタル的に解釈される必要がある。

 では、アナログ情報の意味はどうか。例えば、指名手配の殺人犯の写真を見たとする。これはデジカメの写真であっても、人間にとってはアナログ情報となる。その写真を見た後で、あなたがたまたま殺人犯と出会ったとする。すると、警察に通報するなり、なるべく関わらないようにするなり、自分の生命を危険にさらさないように行動できるわけである。この場合にある人物を殺人犯と認定するのは、アナログ情報をデジタル的に解釈したことになる。つまり、アナログ情報をデジタル的に解釈することによって、生死に関わる判断ができるのである。このようにアナログ情報もデジタル的に解釈されることによって、人間の生死に決定的な役割を果たす。

  次は情報の保存。普通の情報はコピーを繰り返せば劣化する。例えば、99%の精度でコピーした場合、70回もコピーすれば元のデータは半分以上は失われる。精度が99.99%でも7000回コピーすれば、やはりデータの半分以上が失われる。このように、いくら精度を上げてもコピーの回数が多くなれば劣化する。ところが、自然選択では、生物の死によって非可逆的にミスコピーを除去できるので、何回コピーしても劣化しない。例えば、ある遺伝子の全ての突然変異が致死的である場合、その遺伝子のコピーの精度が99%でも、ミスコピーの1%の個体は死んでしまう。結果的に生き残った個体は100%正確な塩基配列を持っている。それ故、重要な遺伝子のDNAの塩基配列は、長期間保存可能である。 自然選択による遺伝情報の保存は熱力学の第二法則の支配を受けない。これは生物の死が不可逆過程だからである。自然選択は絶対的な不可逆過程を含むので、エントロピーの法則に矛盾せず、自然選択によって遺伝情報を保存することができる。逆に、自然選択を受けない情報は、熱力学の第二法則によって、急激に劣化する。すなわち、自然選択を受ける情報だけが長期間保存できる。 この原則を一般的なデジタル情報に適用することができる。例えば、聖書の内容は、古くから信仰の対象とされ、繰り返し読まれてきたので、非常に良く保存されている。 それに対して、古代ギリシャの文献は多くが失われており、ユークリッドの『原論』ですら意味不明な文章を含んでいる。これは、中世にギリシャの科学が衰退し、意味も分からずに写字生によって写本が作られたからだろう。こうして考えると、本は読まれることによって保存される。同様に歌も歌われることによって保存される。演劇も繰り返し演じられることによって保存され、映画も繰り返し見られる物のみが保存される。このような過程は文字通りに人為選択なのだが、その過程は自然選択によく似ている。

 最後に全体の要約をして、情報を定義しよう。まず情報の範囲として、一般に使われているように何でも情報としたのでは、シャノンの情報理論が適用できなくなる。情報理論が適用できるように、情報をメッセージに限定する。次に、メッセージの情報源と受信者を人間に限定せず、生物一般とする。最も典型的な情報はDNAとなる。DNAは生物と生物の間でやりとりされるデジタル情報だが、遺伝情報は生物の生存確率を決定する。そのため遺伝情報は自然選択を受け、情報は保存され進化する。

 情報は生物と生物の間でやりとりされるメッセージで、生物の生存確率に影響を与えるものである。

*コーディングの見事な例はゲーデル不完全性定理を証明した際のもの。これはマジックのような芸当なのだが、何とも高尚な芸当で、言葉とは信じられないほどの能力をもちながら、自らは致命的な欠陥を持つことを示すという究極の状況を数学的に証明してみせたのである。これほどのスリリングな証明を私は知らない。