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生命現象は熱力学の第二法則に反する?

 エントロピー増大の法則が正しいなら、宇宙は最終的に死ぬ。だが、このエントロピー増大の法則からは理解しがたいのが生命である。変化が過去から未来へと一方向に進むという点で、生命現象は熱現象は似ている。どんな生物も、その成長が逆方向に進むということはない。だが、似ているのはそれだけ。

 どんな現象もエントロピー最大の状態になれば、それで終わる。どんな物体も時間が経過すれば、壊れ、形を失う。だが、生命現象にはそのような終わりはない。世代交代が起こり、生命現象は連綿と続くように見える。個体は死ぬが、種は中々死なず、種が絶滅しても、別の新種が生まれ、生命は続く。だが、生命そのものの絶滅がないわけではない。

 さらに、この世代交代のプロセスで進化が起き、形態や機能が変化していく。原初の生物は単細胞だったが、それが進化を遂げ、遂には知性を持ったヒトにまで到達した。  生命現象以外の自然現象は、均一化という無秩序の方向に向かっているのに対し、生命現象は秩序を維持し、進化によってより複雑な秩序を実現している。複雑な秩序はエントロピーが小さいことであるから、生命現象はエントロピーの法則に逆らうように見える。

 さて、生命を作るための特別な元素があるわけではない。だから、そこで起きているのは、物理学で説明できる現象であり、物理学の法則から外れてはいない。だから、現代では物理学の知識に基づく分子生物学によって説明できるはずである。では、個々の分子や原子レベルでは理解できるのに、一つの生命体となると説明がつかなくなるというのは、なぜなのか。かつては生気論によってこれを説明しようとした。

 量子論をつくった一人シュレーディンガーは『生命とは何か(What is life?)』で、生命が秩序ある構造を維持することを説明しようと、生命がマイナスのエントロピー、つまり、「ネゲントロピー」を生産する存在だと述べている。彼によれば、ネゲントロピーを摂る存在が生命なのである。もちろん、シュレーディンガーにしても、なぜ生命がネゲントロピーを生成できるのかは説明できない。

 近代科学は、生命を「時計仕掛けの機械」と見なし、タンパク質や遺伝子は生命の部品であり、それらから構成される複雑な時計や精密機械として生命現象を理解してきた。機械論的、還元主義的な分子生物学は明晰判明で、切れ味がよい。20世紀の中葉以降、現在までこの生物学研究は当たり前のものになっている。

 20世紀の生物学は、細胞の構造、タンパク質の合成過程、遺伝情報の発現メカニズムなど、作り方、作られ方ばかりを探求してきた。だが、21世紀の生物学はそれに加え、生命がいかにして、細胞の解体と、タンパク質の分解と、遺伝情報の消去や抑制を行っているかに注目している。作り方、作られ方は基本的には一通りなのに対して、壊し方、壊され方は何通りもある。生命は作ることよりも、壊すことをより一生懸命にやっているように見える。この絶え間のない分解、更新、交換の流れこそが進化であり、それが生きているということの本質なのである。絶え間のない物質とエネルギーと情報の流れそのものを生命現象を通じて見出すことができる。

 いかなる生命現象もエントロピー増大の法則を免れることはない。だからこそ、生命は率先して、自らを分解し、作りなおすという、シーシュポスの岩の話の如く、限りなく空しい努力を続けている。必然的に増大するエントロピーを何とか生命から排出しようとそているのである。だが、いかにシーシュポスがその努力を繰り返したにせよ、エントロピー増大の法則は、やがてその生命を捉え、引き倒してしまう。細胞からたえず完全に100%エントロピーを汲み出すことは不可能で、これが個体の死。だが、個体の死も生命の大きな流れの中では利他的なものとして準備されたもので、ある個体が死ねば、別の新しい個体が移り住むことになる。こうして生命は絶えず生きる時と場を譲り合い、生命が持続されてきた。

 個体の死は生命の終わりではない。死ぬまでに個体の生命はすでに他の個体の生命に引き継がれている。生物は世代交代によって「エントロピーの低い状態」を再生産している。人が生きることによって、その人の身体を通り抜けて行った分子や原子は、今この瞬間にも、何か別の生命体の一部として常に流転している(万物流転)。生きながらにしてあらゆるものとつながっているのが私たちなのである。