動物は美がわかるのか:審美眼は人にしかないのか

 人が何かを好きになり、別の何かを嫌いにならなかったら、この世界はつまらなく、生きている価値など誰も感じないだろう。また、大切にしたいものと無視したいもののメリハリがなければ、どんなものも心を惹きつけることがないだろう。知りたいものが何もなければ、知識は生まれず、生きている実感など湧いてこないのではないか。私たちは好きな人、嫌いな食べ物、苦手の作業、得意な歌などにこだわりながら、毎日暮らしている。それは実に感覚的、感情的な生活であり、それゆえ喜怒哀楽に溢れ、退屈などとは無縁の、波乱万丈の個人的な生活ができるのである。

 では、私たちはどうしてこのような感覚的、感情的な私的生活をするのだろうか。感覚器官は外部環境の刺激を感知するが、その感知は生得的なものが複雑に絡まった学習の結果である。感覚、知覚は学習されて正常に働くものであり、そのためか感覚は積極的に入力を味わい、享受する。生活を楽しむ、娯楽を消費することにはっきりと個人差があるのは、それゆえ、学習に伴うほぼ必然的な結果なのである。享受する、堪能するといったことはどのような理由で私たちの生活に必須のものになっているのか。確かに気になることである。

 ところで、プラトンの美のイデアのように、美が実在するなら、その美を感じることは何に寄与するのか。運動能力、知覚能力、形態、機能等々がなぜあるのかと問われれば、個体や集団の生存のためというのが常套の解答。生物がもつ形質はみな生存に寄与するゆえに存在する。これが進化生物学における形質が存在する理由である。美を知る能力、美を感じる能力は存在するのか、存在するなら何のために存在するのか。美と生存は関係がないように考えられてきたため、「美は何のために存在するのか」という問いは一層謎めいているのである。

 私たちは美しい人に惹かれ、美しい絵や音楽を好み、美しい環境や風景を選ぶ。いずれの場合も「美」が重要な役割を演じているように見える。では、美は私たちが生存するのに必要なのか。それらは物質レベルの事柄とは別の事柄で、生存とは直接関係ないものというのが伝統的な考えだった。だが、そんなことはなく、美男美女は恋愛や結婚には重要な要素だと見做されているし、芸術の評価は正に美に基づいている。美しいデザインはどんな車や衣服にも求められている。「美」は選択の基準の一つになり、実際にあらゆる分野で活用されている。

 例えば、幼児の表情に惹きつけられるのは自然なことだが、顔の表情が生存にどのように関わっているかはよくわからない。幼いペット、乳幼児の身体、特に顔が養育に関わるのだろうが、親と子供の関係は美しさや可愛さだけのものでは決してない。それにしても幼い表情は人の心に訴える(画像で納得してほしい)。

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 自然選択のアイデアダーウィンとウォーレスに帰されているが、美については二人の意見は見事に分かれる。美的センスは人間だけだとウォーレスが考えるのに対し、ダーウィンは動物にも部分的に審美眼を認める。ダーウィンは「美しさのためだけの美しさ」を動物に認め、ウォーレスは「可愛いだけの尾はない」と考える。ダーウィンの審美眼説は、雄の装飾を説明できるが、雌の選り好みが説明できない。ウォーレスの効用説は、雌の選り好みを説明出来るが、雄に特有の派手な装飾を説明できない。

 R.ドーキンス流に考えれば、自然選択は(世代交代を通じての)遺伝子の伝達を最大化するプロセスである。巧みに生き延びる個体が有利であると考えられていたが、ドーキンスによれば、「生存する」とは遺伝子を子孫に伝える機会を提供するための戦略の一つに過ぎない。正確に言うと、「生殖」を最大目的とし、その枠の中で巧みに「生存」する個体が、自然選択上有利なのである。よく出される例はクジャクである。クジャクの雄の尾羽は、カラフルで大きく、かつ優雅である。その尾羽が大きく美しいほど、多くの雌と生殖することが可能になる。だが、その目立ち過ぎるカラフルな尾羽は、捕食者に見つかりやすく、襲われる危険性が高い。さらに、尾羽が巨大過ぎて、枝に引っ掛かったり、走るのに邪魔で、生存する上では決してプラスにはならない。だから、尾羽が小さ過ぎて子孫を残せなかった個体もいたろうし、逆に尾羽が大き過ぎて、子孫を残す前に、捕食者に捕らえられ、命を亡くした個体もいたことだろう。「尾羽をもっと大きく」という生殖を目的とした選択圧(性選択)と、「尾羽をもっと小さく」という生存を目的とした選択圧(自然選択)、その二つがせめぎ合い、現在の平均的な尾羽のサイズになったのではないかと想像してしまう。

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 これはクジャクの話だが、どの生物にも同じように、生殖を目的とした性選択の選択圧がかかっている。これはヒトも例外ではない。女性も男性も、うまく異性を引きつけるヒトが多くの子孫を残す。女性と男性の考え方が違う理由は、男女別々の性選択圧がかかり、別々の性戦略を進化させてきたからである。

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 アフリカのガゼルはライオンが迫ってくるのに、至近距離までぐずぐずしているが、それは敵にみつからないよう地味な格好をしていて見つかりにくいからである。それが進化の知恵だろうに、クジャクをはじめ動物のオスの多くは、派手に目立つ戦略をとる。メスを獲得するために渋さを競う場合があってもいいと思ってしまうのだが…

 イスラエルの生物学者アモツ・ザハビは「ハンディキャップ原理(handicap principle)」でこれを説明した。捕食動物に見つかりやすい派手な装いをするのは、生存に不利なハンディキャップである。しかし、生存しているということは、ハンディを上回る優れた何かをもっている証拠である。つまり、ハンディが大きければ大きいほど優秀という訳である。それをメスも理解して、ハンディの大きいオスをパートナーとして選択する。だが、ハンディキャップ理論にも注意が必要。トゲウオの一種のイトヨは胴体の側線が赤ければ赤いほどメスにもてる。だが、側線の赤色が偽のシグナルである場合がある。側線を赤にするため栄養不足になるオスがいて、そのようなオスはメスが苦労して産んだタマゴを食べてしまう。虚勢と実力を見分けるのは、イトヨも人間も難しい。

 以上の話を前置きにして、科学とは関係がないような感情、審美眼、美などについて科学的に何をどのように研究できるのか、明日以降考えてみよう。