北斎「あやめにきりぎりす」と広重「堀切の花菖蒲」

 植物学的には「花菖蒲」、「あやめ」、「杜若」はすべてアヤメ科アヤメ属。あやめは乾いた土地に適し、かきつばたは湿った土地に適す。花菖蒲はその中間で、畑地でも湿地でも栽培できる。だから、水辺で咲いているのは杜若か花菖蒲。乾いた畑で咲いているのはあやめか花菖蒲。背のたけはあやめが一番背が低く(30~60cm)、杜若が中間(50~70cm)、花菖蒲は背が高い(80~100cm)。花の大きさは花菖蒲が大輪、あやめが小輪、杜若が中輪。花弁の元を見ると、花菖蒲が黄色の目型模様、あやめが網目模様、杜若が白の目型模様。

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(北斎「あやめにきりぎりす」、下は新刷)

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(広重「堀切の花菖蒲」)

 さて、北斎の画には背景がなく、植物としてのあやめとその花弁に隠れるように逆さになったきりぎりすが入念に描かれ、図鑑の挿絵そのもの。一方、広重の画は堀切の堀や湿地帯を背景にして花菖蒲が巧みな構図で描かれ、正に名所の風景画。つまり、あやめ(ときりぎりす)を説明するための植物図鑑の挿絵と花菖蒲の名所堀切の絵葉書との違いなのである。このように表現すると、二枚の画はまるで違うように思えるのだが、実際に版画を見れば、似たような浮世絵に見えてしまう(ダ・ヴィンチミケランジェロのデッサンも見比べてほしい)。それは注意が足りないからではなく、科学的な描写と芸術的な描写は区別ができないほどに似ているから。先輩の北斎は「花鳥図」を「富嶽三十六景」と同じ頃の70歳過ぎに描いている。広重の画は「名所江戸百景」の中の一枚。

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ダ・ヴィンチ、ノート)

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ミケランジェロ、デッサン)

 ところで、杜若といえば、尾形光琳の装飾的なデザインが思い浮かぶ。光琳や広重は正真正銘の芸術家。北斎本草学にも強い関心をもち、芸術家だけでなく博物学者の顔が透けて見える。科学者でもあったダ・ヴィンチと100%の芸術家ミケランジェロとの対比と似たものを北斎と広重に感じるのは私だけではないだろう。北斎ダ・ヴィンチは、知覚するものを正確に見る、知ることから始まる科学的探究が実は芸術と重なり合っていることを実践してみせた。

 だが、それはあくまで最初の一歩。正確な記述、描写は対象の本性を掴むためのスタートでしかなく、それをデータと情報に分解し、理論を使って森羅万象を説明するためにはまだ長く険しい道のりが必要だった。