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物語(ストーリー)による説明についてのメモ

 「一寸の虫にも五分の魂」と言うが、昆虫の魂や気持ちなど誰にも想像などつかないのではないか。というのも、同類の人間同士であっても意思の疎通ができない場合が圧倒的に多いからである。こんな呑気な話でなくても、大昔の人たちが様々な神を信じ、自然の力を畏敬し、拝んだことを現代人が完全に理解できるとは到底思えないし、大昔の人が現代人ののもつ個人主義、人権思想、世界観などを想像することは無理なことではないのか。人の想像力が働く範囲などたかが知れている。未来の人にとって今の私たちは謎だらけで理解できないということはほぼ間違いないことだろう。

 これまでの「動物は美がわかるのか:審美眼は人にしかないのか」の2回の話から、進化論的な研究が、如何にもっともらしい物語をつくる(story-making)か、説得力のある物語をつくるかという研究なのだということがわかったのではないか。だが、「物語の作成が科学研究なのだ」と明言されると、違和感を持つ人がほとんどではないだろうか。実験・観察とそれによって得られるデータを使っての仮説の検証が経験科学であると教えられてきた人には腑に落ちないに違いない。事実と小説は違うものという常識がなければ、「事実は小説より奇なり」とは誰も思わない。物語をつくることは事実を捏造することであり、事実の探求とは正反対のことだというのが常識となってきた。  確かに「科学研究が物語をつくること」という表現がもつ違和感は見かけ上は圧倒的なのだが、今風に言えば「モデルづくり、シミュレーションづくり」ということに過ぎない。モデルやシミュレーションは因果的なシナリオをもったもので、このシナリオは物語の形式をもっている。モデルやシミュレーションが科学研究の一部ということに何の違和感もない。それを昔風に表現したのが物語であり、それゆえ、神話、宗教教義、寓話、民話等々と繋がることになる。つまり、科学モデルと神話は世界を知るための基本的に類似した形式なのである。モデルと物語の共通点となれば、両方とも出来事や現象についての因果的な叙述が中核にあることである。

 では、説明のための物語(とモデル)とその変形にはどんな種類があるのか。それを分類してみると、次のように分けられそうである。(1)以外は神話や小説のような物語とは外観が異なる。いずれも世界の出来事をわかるように説明するという点では共通の目的をもっていて、その目的実現の方法が変形、あるいは広義の物語という訳である。

 

(1)出来事や事実が中心となる物語

ある出来事から別の出来事が生じる因果的な過程が説明、記述される。

(2)原理や公理が中心となる論証

原理や公理から特定の出来事が演繹される。

(3)注釈を中心とする解説

過去の哲学者の書物の注釈という形式を使って説明される。

(4)言語分析が中心

語源、文法、系統関係を使って説明される。

 

 では、私たちが普通に考える物語とはどんなものなのか。経緯、由来、道筋、そして歴史などを起承転結のあるまとまりとして表現するのが物語と思われている。物語やストーリーという観点からは、理論を使ってモデルをつくり、細部はシミュレーションによって詰め、実験や観察を行うプロセス自体が様々な物語を構成要素とした物語になっていると考えることができる。すると、ストーリづくりとそのストーリーの検証が科学研究ということになり、当初の違和感は少しは軽減できるのではないか。

 物語とは出来事の因果的な系列を描写したものだが、ユークリッド幾何学のシステムとその展開とは根本的に異なる。それは「物語は推論ではない」ということ。物語を支配する法則は因果的な法則であり、幾何学の定理の展開を支配するのは論理的な規則である。推論と物語を比べるなら、血沸き肉躍る展開は物語の独壇場である。幾何学の定理の展開に関しても論理規則の組み合わせの妙に憑かれる人は少なくない。普通の人、特に作家は自然言語によるストーリーの展開に、数学者は仮定からの推論の展開に、物理学者は因果的な変化の推論としての展開にそれぞれ関心をもっている。確かに、物語と推論は異なる。だが、物語の推論の展開、特に二つがミックスされた展開という場面では物語と推論の協働の作業が求められるのである。

 

 究極のストーリーづくりとなれば、万物の理論(TOE, Theory of everything)。自然に存在する4つの力、つまり電磁気力、弱い力、強い力、重力を統一的に記述する理論が万物の理論で、グランドデザインが様々に試みられているが、まだ今のところは夢のまた夢。別のストーリーづくりに「生物はどうして集団をつくるのか」がある。遺伝子情報の世代交代を通じての保存が適応であるが、静物画その仕組みを採用したことの説明はどのようになされるのか、そのストーリーを知りたい。そこから、人はどうして一人で生きられないのか、個人、家族、集団の間の違いとは何なのか、が説明できるのではないか。遺伝子と原子の存在の根本的な違いを描くストーリーがほしいのは私だけではないだろう。

 

*「物語」と「ストーリー」はほぼ同じ意味で使ったが、私の語感はかなり違う。私にはストーリーの方が「歴史的な意味をもたず」、「シナリオに近く」、「創造神話とは無関係」な意味合いが強い。