30時間制をヒントに

 今では時刻表示は12時間制、24時間制がほとんどである。いずれの方式であれ、厳格に使っているかと問われると、自信がなくなる。私たちは融通無碍に使い熟している。「12時15分」と言われても、文脈がわかっていれば何の支障もない。だが、「12時15分」だけだと皆目見当もつかない。その上、「0時15分」と「12時15分」は同じかどうかさえ不明なのである。だが、これらは心配するほどのことではなく、文脈や状況を定めれば簡単に解決できる。かつてメートル法と尺貫法の移行を経験したが、そのような大掛かりな移行さえ、きちんと情報が伝わりさえすれば、混乱は生じない。

 建築や工事の表示は「見える化」というスローガンのもとに、随分とわかり易くなった。お蔭でズブの素人の私でさえ看板表示はよくわかる。そこで、写真の看板を見てほしい。普通に読めて何も違和感をもたないなら、それはそれで結構。違和感を持つ人がいたら、さらに読み進めてほしい。

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 日常生活で30時間制(午前0時から午前6時までを24時からそのまま続けて30時まで表示するシステム)が使われているのを見るのは珍しい。24時(正子)で終わる24時間制に対して、30時間制では、24時以降に6時間分だけ延長し、24時、25時、・・・29時、30時を用いる。そして、「日の切替わり」を午前0時ではなく午前6時とする。したがって、24時間制と異なる表示となるのは、夜の0時から午前6時の直前までの6時間のみである。また、30時間制では、0時、1時、2時、3時、4時、5時の表記はない。 その30時間制に基づく、24時を越える時刻表示が看板に書いてあるではないか。誰が見ても、「あれっ」とは思いながら、すぐにこれは午前1時15分だとわかる。だが、28:50だと、午前4時50分だとすぐにはわからないだろう。それらの理由はさておき、これが30時間制の有効なことの証左である。これが私の推測なのだが、読者の皆さんはこの画像を見て交通止めがいつからいつまでか、どのように判断するのだろうか。是非意見を聞きたいものである。

 時刻表示の現状を垣間見ておこう。アメリカでは24時間制における0:30(夜)を12:30am、24時間制における12:30(昼)を12:30pmと表記する。日本の12時間制では前者は午前0:30、後者は午後0:30となる。アメリカでは昼の12時ちょうどは12:00pmで、深夜の12時は12:00am。日本の12時間制では、昼の12時は午前12時であったり午後0時であったりし、夜の12時は午前0時であったり午後12時であったりする。24時間制が好まれるのは、このようなややこしさを避けるためである。

 英語でもアメリカ英語とイギリス英語では時刻の表現が随分と異なる。例えば、11時を表す際、アメリカなら11時(eleven o’clock)、11時15分(eleven fifteen)、11時30分(eleven thirty)となるが、イギリスでは11時15分(quarter past eleven)、11時30分( half past eleven / half eleven)、11時45分(quarter to twelve)とも表現する。

 写真の看板に戻ろう。12時間制しか知らない人なら、25:15はわからないだろう。私たちが12時間制と24時間制の両方を適当に使い分けており、かつ24時に近いので、25:15時がわかるのである。

 メートル法と尺貫法のような異なる尺度システムは法的な約定で構わないのだが、その基本は好みや嗜好に似ていて、「いずれでもよい」という原則に基づいている。だから、衣食住の大半は個人の選択や好みを優先している。複数の同等なシステムがそのまま併存したのでは混乱や不都合が生じる場合には、一本化するのが良いという生活の知恵を採用してきた。例えば、煙草は嗜好品で喫煙は個人の自由なのだが、公共の場での受動喫煙は全面的に禁止されようとしている。このような「いずれでもよい」という寛容な態度は私たちの自由意志と密接に繋がっている。衣食住に関する選択の自由はこのような「いずれでもよい」という選択の自由を許す寛容さに基づいている。その自由さから生まれる混乱を防ぐのが法律やルール、習慣やしきたりである。

 この寛容さは言語の共存、宗教の共存にも通じているのではないか。複数の言語が共存し、その中のどの言語を選ぶかは個人の自由にはならないが、それでも選択の自由は残されている。これは宗教についても似ている。複数のルールが共存し、それぞれのカテゴリーの中でどれか一つを選択しなければならないということは原則としてあってはならないのだろう。だが、宗教はそれに反するように見える。確かに、一神教の世界ではそうだが、かつての日本人は複数の異なる宗教を信じることがむしろ普通だった。今の私たちが12時間制と24時間制を使い分けるように、私たちの先祖は神仏混交の世界で暮らしていた。