無欲と意欲(1)

 物理学の真髄の一つとなれば保存則である。エネルギーや質量が保存されることが大前提になって世界が考えられ、理解されている。この世界観をリアリスティックと呼ぶなら、それに対峙するのがロマンティックな「破壊と再生」の世界観。破壊と再生の際の真髄は模倣、進化にある。だが、何かをコピーする、真似る、模倣する、といったエレガントな行為は物理学には表だって登場しない。物理学と化学の一部はとても無骨でくそ真面目、面白みがない世界であるのに対して、生物学はつくり、壊し、またつくることを繰り返しながら、何が生まれるかわからない世界である。

 

ネーターの定理

 保存則(conservation law)は、物理化学的変化の前後で物理量の値が変わらないことを主張する。つまり、物理現象が時間的に変化する際、考えているシステム内で、ある物理量の総和が変化しないのである。ネーターの定理により、システムがもつ一つの保存則はシステムのもつ一つの対称性に対応することがわかっている。保存則と対称性の対応関係は以下のようになっている。

 

エネルギー保存則-時間の並進対称性

運動量保存則-空間の並進対称性

角運動量の保存則-空間の回転対称性

電荷の保存則-ゲージ変換の対称性

 

ネーターの定理は、システムに連続的な対称性が一つ存在するとき、それに対応する保存則が一つ存在する、と主張する。また、システムに連続的な対称性が存在するとき、それに対応する保存則が存在する。つまり、保存則と対称性は互いに他の必要十分条件になっている。

 では、どうしてシステムに連続的な対称性が存在すると、保存則が存在するのか。それを直観的に考えてみよう。円をその中心のまわりに回転させても、円の形は全く変化せず、不変に保たれる。これは円が回転に対して「対称性」をもつため。見方を変えれば、円がその中心のまわりに回転している場合、どのような方向(角度)から見ても、円の形が全く同じように見え、区別することができないということを意味している。このとき、回転による円の形の変化を私たちは認識できない。そして、回転による円の形の変化を認識することができないということは、回転に対する「円の見え方」が保存されていると考えることができる。

 また、無限の長さの直線を直線の方向に平行移動させたとしても、直線の形は全く変化せず、不変に保たれる。無限の長さの直線を直線の方向に平行移動させても、直線の形が不変に保たれる(対称性がある)。これも見方を変えれば、無限の長さの直線が平行移動する場合、どのような位置から見ても、直線の形が全く同じように見え、区別することができないということを意味する。このとき、平行移動による直線の形の変化を私たちは認識できない。そして、平行移動による直線の形の変化を認識できないということは、平行移動に対する「直線の見え方」が保存されていると考えることができる。  物体の運動についても同様の考え方が成り立つ。つまり、一様な空間中を物体が運動している場合、どの位置から見ても物体の運動が全く同じように見え、区別することができない。このとき、物体の運動の変化を私たちは認識できない。そして、物体の運動の変化を認識できないということは、物体の「運動量が保存」されていると考えることができる。

 また、等方的で特別な方向がない空間中を物体が回転している場合、どの方向(角度)から見ても物体の回転運動が全く同じように見え、区別できない。このとき、物体の回転運動の変化を私たちは認識できない。そして、物体の回転運動の変化を認識できないということは、物体の「角運動量が保存」されているということを意味する。

 同様に、一様な時間中を波が振動していた場合、どの時点から見ても波の振動が全く同じように見え、区別することができない。ここで、波の振動数はエネルギーを表すことを考慮すると、波の振動によるエネルギーの変化を私たちは認識できないことを意味する。そして、波の振動によるエネルギーの変化を認識できないということは、波の「エネルギーが保存」されていることを意味する。

 このように、対称性によって物体の運動が全く同じように見え、区別することができないため、物体の運動の変化が認識できないとき、物体の「運動の保存則」として観測される。これがネーターの定理の直観的なイメージ。

 数学と物理学の関係は密接であるが、その密接さは解析力学に結晶されており、その解析力学の根幹にあるのがネーターの定理である。この定理によって、物理学の保存則は数学の対称性と見事に結びついている。

 

DNA複製 (DNA replication)

 自己を複製するということは、生物としての重要な特徴の一つ。細胞は、分裂する際に自らの遺伝情報を担っているDNAを複製して、娘細胞へ伝達する。DNAは4種類のデオキシリボヌクレオチドが重合してできた鎖状のポリマーだが、通常は互いに相補的な構造をもつ2本の鎖が水素結合して、らせん状の構造(二重らせん構造)を取った状態で存在している。この二重らせん構造は適度に安定であり、それぞれの生物が生きている普通の温度では簡単にほどけることはない。DNAが複製されるときには、ヘリカーゼと呼ばれる酵素の働きで二重らせんがほどかれて1本鎖DNAが露出し、それぞれを鋳型として相補的なDNA鎖がDNAポリメラーゼと呼ばれる酵素によって合成される。したがって、できあがった2本鎖DNAは元々あった鋳型鎖と新たに合成された新生鎖とのハイブリッドということになり、このような複製様式を半保存的複製という。DNA複製研究の歴史は長く、上述したような基本的な仕組みについては、最初主に大腸菌などの原核生物をモデルとして明らかにされたが、その後ヒトを含めた真核生物でも共通であることが分かってきた。

 一方、研究が進展するにつれ原核生物と真核生物ではDNA複製の制御機構に大きな違いがあることも明らかとなった。大腸菌は自身の遺伝情報を一つの環状DNAに保持しているが、DNA複製は一カ所の複製起点から開始する。これに対して、真核生物は多数の独立した線状DNAに遺伝情報を分散していて、それぞれの線状DNAについて多数の複製起点から複製を開始する。一つの複製起点で複製されるDNA領域をレプリコンと呼ぶが、大腸菌は単一レプリコン、真核生物はマルチレプリコンによって複製されるということになる。DNA複製と細胞分裂は上手く連携して起きる必要があるということは容易に想像できます。例えば、全てのDNAが複製を完了していない状態で分裂が起きると、片方の細胞は一部の遺伝情報を失うことになってしまう(実際、癌細胞などの異常な細胞ではこれに近いことが起きると考えられている)。盛んに増殖を繰り返している状態にある大腸菌では、複製され倍加した環状DNAは均等に分配されるが、そのとき既に次の分裂に備えて複製開始が始まっている。一方、真核生物では、細胞周期のS期で一度だけDNA複製が起きるように厳密に制御されていて、複製されたDNAが分配される時期(M期)とは明確に切り離されている。興味深い例外として、ショウジョウバエの唾液腺などではM期をスキップして、S期が繰り返されるという現象が起こり、通常組織の細胞の数百倍ものDNAを含む巨大な唾液腺染色体として観察される。

 最後に、DNA複製を医科学的な視点から見てみる。紫外線や活性酸素などDNAの構造を変化させる変異源が環境中には多く存在しており、DNAの損傷は頻繁に起きている。損傷を受けたDNAが複製の鋳型になったとき、損傷部位で新たな変異が入ったり、複製が停止したり、場合によってはDNAが切断されるなど、より重大なDNAの異常をもたらすことが知られている。正常な細胞にはDNA損傷を修復する様々な仕組みが備わっていて、このような危機的な状況にも対応することができる。しかし、一部の癌細胞ではDNA修復系自体が働きを失っているため、増殖に伴ってどんどん遺伝情報が変化していき、この中からより悪性度の高い癌細胞が生じると考えられている。古くから使われている抗がん剤には、DNA複製を抑制する作用をもつものがよくある。癌細胞は無限に増殖するという特徴があるので、DNA複製を抑制すると当然増殖できなくなるため非常に有効。