運動会の練習風景

 運動会はとても日本的な行事で、時には親まで参加を強いられる。運動が嫌いな親子にとっては地獄のような一日。私の場合は、幸いにも普通に動けて、走れたので、自分の属する組に「迷惑をかけることなく」運動会を過ごすことができた。こんな記憶は何とも不健康な記憶としか言いようがないのだが、親子の触れ合いという健康的な記憶と共に残っている。

 日本の運動会の発足は「国威発揚」、「富国強兵」、「健康増進」といった重い事柄を目的としていて、明治末期に広く普及した。だが、オリンピックやパラリンピックを考えるなら、運動会など実に可愛い、他愛もない行事。オリンピックやパラリンピックでは国単位で競うことに誰も疑問をもたない。「国のために勝つ」ことはどの国も同じ。そんなことは止め、全部個人にすればという意見には革新系の議員でさえも決して賛成しないのではないか。

 人間は欲張りで、個人の争いと共に国家間の争いも同時に行いたいのである。運動会はさしずめその予行演習。人間は争ってこその人間であり、その技術の習得も重要な教育。自分がどこに帰属し、どう貢献するかを教育するには運動会はこの上ない機会なのだろう。

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