Principia(2)

 (Principiaの発音:プリンシピア、プリンキピア、プリンチピアなど)

 もう一つのPrincipiaは言わずと知れたニュートンのプリンキピア(Philosophiae Naturalis Principia Mathematica)。Principia(1)では、 Principia Mathematica のPrincipiaとは論理学のPrincipiaだと結論したが、ニュートンのPrincipiaは数学の原理ではなく、数学的な形式をもつ自然哲学(つまり、物理学)の原理という意味である。  こちらは高校時代に名前だけは知っていたが、なぜかとても難しい本だと思い、それが未だに変わっていない。実際、読むには本当に難しく、読みたくなく、だから、未だに読んでおらず、解説書で済ませている。私はニュートンの流率法をよく知らない。私も含め、普通は極限を使った微分法を学んだためか、無限小(infinitesimal)概念や流率(fluxion)概念がしっくりこないのである。その上、プリンキピアの端正な筋立ては自分が物理学の才能に欠けることをしっかり教えてくれる。

 プリンキピアは正に奇跡の書物。敬虔なキリスト者ニュートンガリレオの異端(?)を完成させたのである。確かに錬金術に関心をもち造幣局長官もしたが、ガリレオと違ってニュートンは敬虔なキリスト教徒だった。それが証拠に彼の晩年の著作は『ダニエルの予言とヨハネ黙示録に関する考察』という聖書解釈だった。

 ニュートンの「プリンキピア」は三巻から成っている。第一巻は、ユークリッドの『原論』のように、定義からスタートする。ニュートンは、質量、運動量、静止力としての慣性、外力、求心力などを、明解に定義していく。そして、それらの基本的概念に基づいて有名な三つの運動法則、いわゆるニュートンの法則を提示した。運動の第一法則は「慣性の法則」で、全ての物体は外力の作用を受けない限り静止または等速度運動の状態を続けるというもの。第二法則は、運動の変化は外力の大きさに比例し、力の加えられた直線方向に起こるというもの。そして、第三法則は、二つの物体が相互に及ぼす力、作用と反作用は等しく、方向は反対になるというもの。最初の二つの法則は既にデカルトらによって唱えられていたが、第三法則はニュートンが初めて述べたもので、彼の力学上の業績でとりわけ独創的なものだった。三つの法則を厳密に数式で表わし、論理的に系統立てたのはニュートンが最初だった。第二巻では流体力学を論じて、先輩デカルトの渦動宇宙論を徹底的に批判している。

 ニュートンの最大の業績である万有引力論が登場するのは第三巻。そこでニュートンは、二つの物体はある力をもって相互に引き合うこと、そして、その力はその物体の質量に正比例し、物体の間の距離の二乗に反比例するという相互引力の法則が成り立つと主張する。ケプラーの第三法則、そしてホイヘンスが1673年その主著『振子時計』に書いている等速円運動の場合の求心力を求める公式から導かれる結論「力は二つの物体間の距離に反比例しなければならない」ということは、ニュートン、ロバート・フックら当時の科学者は既に知っていた。だが、この法則は、等速円運動をしている物体や天体などにのみ応用できるので、ケプラーの第一、第二法則に従うような楕円運動をするものには適用できなかった。ニュートンはそれら全てを総合し、引力理論に基づいて力学を宇宙全体に適用できる学問にした。

 ニュートンの二大著書となる『光学』の執筆(刊行は1704年)および『自然哲学の数学的諸原理』の執筆・刊行(1687年刊)はルーカス教授時代。彼は聖書研究や錬金術の実験などに没頭し、また哲学者でもあったので、既述のように自然学に対する情熱と同じくらいの情熱、あるいはそれ以上の情熱を聖書研究に注いだ。

 Philosophiae Naturalis Principia Mathematica(1687年7月5日刊 訳名『自然哲学の数学的諸原理(プリンキピア)』)のなかで、運動方程式万有引力の法則について述べ、解析学をつくり、古典力学(=ニュートン力学)を生み出した。これによって天体の運動を解明した。光のスペクトル分析などの業績も残し、ニュートン反射望遠鏡をつくっている。  ガリレオデカルトらの継続的な研究がニュートンによってまとめられるのだが、その内容を大陸に伝えるのに貢献したのがシャトレ侯爵夫人の『プリンキピア』の仏訳である。数学がすこぶるできた侯爵夫人の愛人の一人がヴォルテールヴォルテールニュートン物理学の解説書『ニュートンの哲学』を著すが、数学と物理学の部分は侯爵夫人が助言した。この二人によってフランス人もニュートン古典力学を知ることになる。

 これが私のPrincipiaの想い出。原理なるものを自分でも見つけたいと思うのは人の常だが、そんなタイトルの著作を残すことができるのは一握りの人たちに過ぎない。

ガリレオデカルトニュートンらの本は当時の他の本に比べて貧弱な装丁である。例えば、ニュートンと同時代のキルヒャーの本と比べると、その違いは明白。教会の庇護があれば、装丁は豪華で、図版も見事。但し、内容は装丁とは無関係。