「ミネルバのふくろうは黄昏(たそがれ)に飛翔する」

  Facebookでフクロウの動画(5月24日)をシェアしたら、多くの「いいね」をいただき、驚いています。どんな生き物も赤ん坊が可愛いのは偶然ではなく、生物進化のなせる技だが、フクロウについての意見を書き加えておきたい。

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(古代アテネの銀貨。表面はアテナの頭部、裏面はフクロウとオリーブの小枝)

 タイトルはヘーゲルの『法の哲学』に出てくる有名な文句。よく聞く解釈は次のようなもの。 「古来ふくろうは学問の神ミネルバの化身。夜行性のふくろうは黄昏に飛翔する。ヘーゲルは、ふくろうのこの行動形態に哲学のもつ宿命を看取った。つまり、あらゆる事象はその歴史が終わらなければ真実の姿を把えられない。それゆえ、哲学が真理を見い出すのは事象が歴史的終焉を迎えた後のことである。」

 まず、ミネルバとは?。ギリシャ神話の女神アテナのこと。ギリシャ神話の神々は親兄弟まで平気で殺してしまう権力闘争の中で生きている。天の神ウラノスの子、クロノスは父ウラノスを殺して権力を得るが、ウラノスの呪いで生まれた子に殺されると予言される。これを恐れたクロノスは、生まれた子供はすべて飲み込んでしまう。しかし、ゼウスだけは例外で生き延び、後に王権を得る。ウラノスの呪いが自分にも降りかかることを恐れたゼウスは、妊娠した妻メーティスを生きたまま飲み込んでしまう。ところが、胎児はゼウスの頭の中で生き続け、プロメテウスに自分の頭を斧で割らせる。その中から出てきたのがアテナである。アテナは、そのことから戦いの神とされ、パルテノン神殿にフクロウと共に住んでいた。彼女は情報収集のためにフクロウを利用した。その日一日アテネの町で起こったことを夕方に聞き出すために暗い所でも眼が見えるフクロウが使われたのである。

 さて、ヘーゲルミネルバのフクロウを持ち出した解釈に戻ろう。ヘーゲルはおよそ次のように考えた。現実が過ぎ去り、その結果が完了し、出来事が仕上げられたあとで初めて、哲学は登場する。存在するものを概念によって把握するのが哲学の課題である。人は誰もその時代の息子であるが、同じように哲学もその時代を思想として捉えたものである。ミネルバのフクロウ、つまり哲学は時代が終わってから、黄昏に飛び立ち、哲学として形成される。哲学者は預言者ではなく、未来のことは分からず、それゆえ、それを論じることはできない。

 ヘーゲルの考えた学問、知識と、私たちが現在もっている学問、知識は大きく異なる。その違いがどれほどのものかを知る一つの指標が「ミネルバのフクロウ」なのだろう。学問や知識が大きく変貌し、科学が学問や知識を更新する主要な役割を演じている。現在の哲学が学問や知識を対象にする際、ミネルバのフクロウの役割だけなのか、それとも、別の役割、例えば未来の予測について何か主張できるのか、それが考えるべきことではないだろうか。