新江東綺景(1):潮見

 千葉の市川から東京のどこに移ろうかと品定めをしていたときの候補の一つが潮見だった。潮見の印象は良くなかった。生活、風情、暮らしの活気が感じられず、目立つものがほぼ何もない風景は「退屈だ」ということに尽きる。そのためか、「潮見は僻地」と私は感じてしまったのである。その私の印象は今でも変わっていない。だが、よく考えてみれば、そんな消極的な印象を私に与えた理由は一体何なのだろうか。

 潮見は運河に囲まれた埋立の人工島。汐見、曙北、砂町、東雲北の運河に囲まれ、JR京葉線潮見駅は利用客がとても少ない。そんな潮見を歩いて気がつくのは、以前述べた暁橋と教会。広い前庭と事務所をもつカトリック潮見教会があり、その隣に「カトリック中央協議会(Catholic Bishops' Conference of Japan)」の大きな建物が立つ。なぜ僻地にカトリックの建物があるのか、誰も訝るのではないか。その謎解きは潮見の独特の歴史にあった。この歴史が私の第一印象にも関わっているようなのだ。

 隅田公園言問橋近くの一角に「バタヤ」と呼ばれる廃品回収で暮らす人たちが住む地域があり、「蟻の街」と呼ばれていた。その街が埋立地の潮見に移ったのだが、それに尽力した一人が北原怜子(さとこ)。私のような年代なら、廃品回収が象徴的に人々の関心を集めた映画「蟻の街のマリア」(1958)が蘇ってくる。この映画は、蟻の街と呼ばれたバタヤ部落で献身的な奉仕活動を行ったクリスチャン北原怜子を描いたもの。  彼女は聖フランシスコ修道会のゼノ修道士に出会い、蟻の街の存在を知る。それ以後、蟻の街の住民とともに寝起きし、人々の自立のための活動に邁進。蟻の街は自治体等の支援を受けずに独力で自分たちの街を作ろうと東京都と交渉し、都が代替地として提示した第8号埋立地(現在の潮見)の用地買収の計画を立てる。都側も異例の対応をし、1958年話し合いがつき、蟻の街が潮見にできることになったが、北原はその3日後28歳の若さで息を引き取る。

 人々が移住してできたのが潮見教会で、教会堂名は「蟻の町のマリア」。庭の隅には北原の像が置かれている。

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東雲北運河の造船所)

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(七枝橋から見る砂町運河、左岸が潮見で、高層の建物は都営の潮見一丁目アパート)

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カトリック潮見教会、後ろの建物はカトリック中央協議会

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(北原怜子の像)