新江東綺景(3)

東雲飛行場

 江東区は埋め立ての区と言ってもよいほどで、湾岸部は埋立地。海の底では歴史も文化も何もあったものではない。そんな愚痴はさておき、東雲飛行場は今では聞きなれない名前だが、かつて江東区東雲(現在は有明)にあった民間の飛行場。確かに埋立地に飛行場はつきもので、羽田、関空がすぐ思い浮かぶ。

 東京航空という民間会社が管理し、方位17/35、非舗装430mの滑走路を持っていた。東雲飛行場という名前を聞き、「しののめ」だからと思っていたら、なんと我が家の向かいにあることがつい最近偶然に判明した。我が家の向かいに東京有明医療大学があるが、その辺から滑走路がスタートし、湾岸道路を越える辺りまでが飛行場だった。大学の敷地から有明小中学校のグランドを通って、湾岸道路に架かる角乗り橋を越えた辺りまで滑走路が伸びていたようである。見渡すことが簡単にできるほどの広さで、とてもこじんまりした飛行場だったことが想像できる。

 東雲飛行場は1953(昭和28)年に開設され、1980(昭和55)年東京湾岸道路の建設に伴い閉鎖された。以後の話は余談。その後、飛行場は茨城県稲敷郡阿見町に移転し、阿見飛行場が開設され、東京航空がその運営を行っていた。だが、2015年に供用廃止となった。東京航空は千代田区に本社があり、2015年現在は調布飛行場内に調布運航所を設けている。軽飛行機による航空写真・映像撮影、遊覧飛行、貸切飛行、訓練飛行等を行っている。

 ところで、東雲飛行場の跡地の一部は東京有明医療大学、区立有明小中学校になったが、そこから湾岸道路まではまだ空き地のまま残っている。有明ゴルフ場跡も有明貯木場跡も現在建設工事が進行中だが、ここはまだ正真正銘の空き地である。

 さて、その東雲飛行場の東約3キロに「夢の島」がある。実はこの埋立地、元々は国際的水陸両用飛行場として計画されたものだった。1939(昭和14)年東京市江東区南砂町地先(夢の島)174万㎡を埋立て、当時とすれば世界最大の水陸両用飛行場の建設を計画した。だが、戦時体制のため工事は途中でやむなく中止。そして、この計画はGHQによる羽田空港整備に伴い消滅。戦後、夢の島海水浴場となるが、台風が来たりして、これも廃止。その後、ゴミの処理場になった。それも終了し、今では運動施設が整う公園にすっかり変貌している。

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(1974年の写真、赤枠が滑走路。(写真はWikipediaより))

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(1989年の写真、東京湾岸道路の開通で飛行場はなくなる(写真はWikipedia))

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(現在の姿で、白線がおよその滑走路、中心部は区立有明小中学校)