新江東綺景(4)

有明貯木場

 自分の住むところがかつて海だったと思うと、人はどんな気持ちになるだろうか。日本人なら全員考えるに値する問いなのだが、ほとんどは自分のことではないと思う。自分は陸の上で生まれたと大抵の人は信じて疑わない。だが、ちょっと歴史を遡れば、日本列島などなかった時代に行き着く。「埋立地かどうかなど愚問に過ぎなく、いつ埋め立てられたのかが意味をもつ」と痩せ我慢したところで、天変地異を考えれば堅固な土地に越したことはない。

 ずっと揺るぎない大地というのも退屈この上ないとさらに強がることもできる。生まれてからずっと同じような風景を保つのが故郷だと思い込んでいる向きには波乱万丈の環境の面白さはわからないのかも知れない。江戸と東京の面白さは埋め立てによって湾岸が常に変化し、それが今でも続いている点である。風景が一変するような大事業を成し遂げることが何度も行われてきたのが江戸であり、東京である。こう言われると、少しは賛同したくなる。実際、東京の湾岸部のもつ特徴は正真正銘東京の命を支えてきたことにある。日本を支え、発展させてきたのは工業であり、輸出入がそれを維持してきた。東京湾とその周辺は日本の工業を支えてきた。湾岸部には火力発電所、ガス工場、鉄鋼所等々が集中し、地域全体が熱気に満ちていた。

 さて、話を現在に戻そう。有明アリーナ、仮設の有明体操競技場、有明第二小中学校の建設予定地は約35haの広大な土地で、平成12年から17年にかけ埋め立てられた。いわば生まれたての土地である。ここは有明貯木場として使われていた東雲運河の一部で、臨海副都心計画の当初より埋め立てることが決まっていた。埋め立て理由は「職と住のバランスのとれた都市の建設」、「水辺空間の整備」で、バブル崩壊後の厳しい批判の声の中、平成17年度に埋め立て事業は終了。2016年の東京オリンピック招致活動では、ここに選手村を建てる計画となったが、「選手村が狭い」として落選。2020年招致活動では、より広い晴海埠頭に選手村が移り、有明北の埋立地有明アリーナ、仮設競技場等を受け持つことになった。

 元々、臨海副都心は四つにゾーニング分けされていて、首都高から北側の有明は住宅エリアとして、居住人口を三万六千人と定めていた。東京テレポート構想から始まった臨海副都心計画は、ウォーターフロント開発や住職接近思想とリンクしていて、台場・青海をオフィス街に、有明南を展示会場に、そして有明北を居住に使う予定だった。この構想はバブル崩壊、都市博開催の中止とともに台場・青海に十分なオフィス街を形成することができずに失敗。臨海副都心はオフィス街よりも都心から身近なリゾート・観光地の色合いが強くなった。JRも地下鉄も走っていない有明北の三万六千人という人口は臨海副都心に十分なオフィス街ができることが前提だった。だが、未だに有明北は未利用地が広がっている。そんな中、住友不動産開発の有明ガーデンシティの建設がようやく始まった。ここは国家戦略特区認定を受け、MICE戦略(企業・産業の展示、国際会議や学会の誘致とそのアフターフォロー)とも密接に絡んだ計画となっている。ビッグサイトよりもう少し都心手前側に展示会場をもう一つつくり、有明を「展示会の街」にしようという魂胆と言える。

 有明北の埋立てに戻ろう。有明北の十六万坪の埋め立ては、旧有明貯木場の水域約50haのうち、35haを埋め立てる計画だった。ここは江戸前ハゼの生息地として知られ、釣り船業者、「江戸前の海十六万坪を守る会」、WWFジャパン(世界自然保護基金日本委員会)などから保全の要望があがったが、平成12年着工。2020年のオリンピック・パラリンピックの施設建設も決まり、有明アリーナの工事は既に始まっている。また、現在議論されている一つに「有明親水海浜公園」造園計画がある。旧有明貯木場の埋立地の水辺を一つの公園にしようという計画で、その二か所に砂浜をつくるというプランが含まれている。

 

保全理由は次の通り。「ハゼは東京湾だけでも何十種も生息している。江戸前の代表的な魚で、ハゼ釣りは江戸時代まで遡る。江戸前のハゼが生息できたのは、広大な干潟と浅瀬の東京湾の自然があったからこそ。そんな東京湾の奥部にハゼの楽園である有明旧貯木場が残っていた。有明旧貯木場は、明治時代に築かれた石垣堤防と、埋め立て地に囲まれた閉鎖的な水域で、ハゼ、スズキ、ボラなどの魚類やゴカイやトビムシなどの底生生物が豊かに生息している場所。エドハゼに至っては、環境庁レッドリストに絶滅危惧IB類に挙げられている。」