人間原理・・・宇宙はなぜこれほど見事にできているのか?

 (fine-tuned universe:見事につくられ、微調整された宇宙)

 「宇宙が非常に見事にできているのは人間が存在するからだ」というのが人間原理ライプニッツによれば、この世界は考えられる限り最善の世界である。その理由は、神がこの世界を作ったのだから、最善のものしか作りようがないというもの。18世紀のイギリスの神学者ペイリーは『自然神学』において、時計が存在するのはその時計をつくった職人がいるからだが、それと同様に、生物がいるのもそのつくり手(=神)が存在するからだと主張した。

 このような哲学的議論には根拠も証拠もない。だが、この種の哲学的議論が現代宇宙論人間原理として議論され、話題になっている。人間原理によれば、宇宙が現在のような姿をしているのは、人間が存在するからである。例えば、自然定数が現在の値よりもわずかに違っているなら、地球ができなかったり、炭素原子ができなかったりして、人間のような知的生命体が生まれない。知的生命体が存在しない宇宙は、観測されないので、存在しないも同然である。

 最初に、宇宙物理学的事実を幾つか述べておこう。私たちの地球は今から46億年前にできた。つまり、宇宙ができて約90億年後である。地球は原始太陽系星雲の中にある塵から作られた。塵をつくる主要な元素はケイ素である。また地球を形成する主要な元素は鉄、酸素、ケイ素、マグネシウム、ニッケルなどである。人間を形成する主要な元素は、水に含まれる水素、そして酸素、炭素などである。

 宇宙物理学では水素とヘリウム以外の元素を重元素と呼ぶ。ビックバン宇宙論によれば宇宙の初期にできた元素は水素とヘリウム。それ以外の重元素は、後に星の中の核融合反応によって、あるいは星の超新星爆発によって作られた。宇宙の始めに生まれた初代星には水素とヘリウムしか存在しないので、重元素がなく、したがって惑星をつくることができない。太陽程度の質量の星の寿命は100億年程度である。

 人間原理的な考えを初めて提唱したのは、アメリカの宇宙論学者ディッケ(Robert Dicke)である(1961)。ディッケは現在の宇宙の年齢が100億年程度であるのは偶然ではないという(最新の知見では、現在の宇宙の年齢は137億年)。それが必然だというのがディッケの主張である。もし現在の宇宙の年齢の現在の1/10以下の時代であれば、重元素が十分に生成されていない。したがって惑星や生命は存在しなかったはずである。一方、現在の年齢の十倍以上の時代であれば、星はほとんど死に絶えているだろうから、知的生命は存在しない。

 ディッケはさらに宇宙の平均密度が、臨界密度に極めて近い事は偶然ではないと言う。このことは最近のWMAPの観測により、非常に高い精度で確かめられている。もし宇宙の平均密度が臨界密度よりずっと大きければ、宇宙は膨張してすぐに収縮に転じて、ビッグクランチに至る。そのような世界では、宇宙年齢が短いので、生命をつくっている時間がない。一方宇宙の平均密度が、臨界密度よりずっと小さければ、宇宙は急速に膨張して、星や銀河など重力で束縛された天体はできないだろう。すると、惑星も形成されず、生命も生まれない。

 最近の研究によれば、宇宙は現在加速膨張している。その理由として宇宙定数の存在が考えられている。ところが宇宙定数の値は、素粒子物理学が考える自然な値よりも120桁も小さい。これも偶然ではなく、そうでなければ宇宙は急速にインフレーションを起こしてしまう。そんな宇宙では星をつくることができない。だから、惑星をつくることもできず、生命が存在しない。だから、自然な宇宙定数を持つ宇宙は観測されない。

 その他、物理定数の値は、生命の形成に極めて好都合な値をとっていることがわかっている。例えば、強い相互作用の大きさが現在の値よりも少し強ければ、中性子同士がくっついた重中性子とか陽子同士がくっついた重陽子が形成されて、宇宙初期において水素は全てヘリウムに変わってしまう。すると、水ができないので、私たちのような生命ができない。

 さらに考えを進めていくと、空間が3次元である理由も説明できる。もし空間が2次元であれば、あまりに簡単すぎるので生命のような複雑な存在はつくれない。空間が4次元以上であれば、どんな複雑な構造もつくれるように思われる。ところが、空間が4次元だという仮定のもとでシュレーディンガー方程式を解いてみると、水素の束縛状態が存在しない。つまり、原子がつくれないのである。その理由は、クーロンの法則による電荷間の力が距離の2乗ではなく3乗に反比例するので、距離とともに急速に弱まるからである。

 人間原理という言葉を意識的に使ったのは、カーター(Brandon Carter)である(1973)。彼はコペルニクス生誕500周年記念シンポジウムでこの考えを提案した。コペルニクスは、地球が宇宙の中心ではないという地動説を唱えた。このコペルニクスの原理をさらに拡張して、人間はこの宇宙の中で、いかなる特権的地位にもいないという考えが提案された。これは「宇宙原理」と呼ばれる。カーターはこの考えに、異を唱えたことになる。確かに地球は宇宙の中心にいるわけではないし、銀河も宇宙の中心にあるわけではない。しかしながら、それでも人間は(少しは)特権的な地位にいるというのが人間原理の考えである。

 カーターは人間原理を「弱い人間原理」と「強い人間原理」に分類した。カーターの言う弱い人間原理は、ディッケが言うように、人間が宇宙の中で、特定の時間と空間にいるのは必然であるという考えである。強い人間原理はさらに進んで、上に述べたように自然定数が特定の値を取るのは、観測者としての人間が存在するからだと主張する。

 バーローとティプラーは1986年にThe Anthropic Cosmological Principleという本を書いた。この中でバーローたちは人間原理に都合の良いさまざまな例を紹介している。ただここで少し混乱が生じたのが、弱い人間原理と強い人間原理の定義を、カーターのものとは少し違えたことである。彼らは強い人間原理では、この宇宙では必ず知的生命体が生じると主張した。この考え方はキリスト教が主張する創造説やデザイン説にながる可能性をもっていた。