洲崎弁天

 洲崎(すさき)は、江東区東陽一丁目の旧町名。元禄年間(1688~1704)に埋め立てられ、「深川洲崎十万坪」と呼ばれた海を望む景勝地だった。明治21年に根津から遊郭が移転し、吉原と並ぶ都内の代表的な遊郭が置かれ、「洲崎パラダイス」の名で親しまれた歓楽街だった。

 三つ目通りからその洲崎方向への途中、半ば住宅街に鎮座するのが洲崎弁天。江戸時代からの名刹で、正式名は「洲崎神社」。洲崎という町名の所以となった。当時この付近は海岸で、元禄時代には将軍綱吉の母の守本尊である弁才天が祀られ、海難除けの社として地元漁民の信仰を集めていた。広重の浮世絵にも往事の姿が描かれている。当時は海岸から離れた小島に建てられていて、人々から「浮き弁天」の名で呼ばれていた。  波除碑(なみよけのひ)は洲崎弁天の境内に建つ江戸時代中期の石碑。1791年に襲った津波の惨状から、洲崎弁天から西側一帯を、津波に備えての冠水地帯として居住を禁止し、災害の惨状を記録した2本の波除けの碑を設置した。

 洲崎弁天の隣に公園がある。美しい緑が特徴的な東西に長い敷地をもつ「洲崎川緑道公園」である。かつて「洲崎川」があったところを埋め立てたもので、公園の下は自転車や歩行者が通れる通路になっており、大門通りの地下を走る。遊歩道の周囲は桜並木となっている。

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(広重「深川洲崎十万坪」名所江戸百景)鷲が獲物を狙って急降下する姿で、鋭い目が特徴。描かれている山は筑波山で、男体山と女体山と二つの峰が目印。埋め立てられた十万坪の新田の近くの海に浮かぶ桶は何なのか。不気味な絵とは違って、洲崎は江戸湾を一望できる行楽地で、初日の出や汐刈り月見などで四季折々賑わっていた。そのはずれの十万坪はまだ人が生活できる場所ではなかった。

 

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(広重「洲崎弁天境内」江都名所)

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(広重「洲崎弁天境内」東都名所)