語るとは、「報告する、説明する、主張する」の内のどれなのか?

  最近少々気になることと言えば、テレビのアナウンサーやキャスターの「語り」。夕刻のニュース時間が大幅に増えたためか、ワイドショーも含め、どのテレビ局も演出に工夫が目立ち、担当する人たちは実にうまく語る。当たり前だが、誰も上手に発音する。さすが日本語で語るエキスパートたちである。

 だが、とても気になるのは語りの姿勢なのである。報告することに徹するアナウンサーがまだいるなら、その人は時代遅れと思われているのだろうが、実はそれが基本中の基本なのに、そうでない人たちは説明する、主張するという途轍もない役割を自分が担うと思っているようなのである。日々変わる、あらゆる分野について説明するなどと言うことができる筈がないのに、説明することが自分の役割で、時には意見を主張すべきだと思うようなのである。ジャーナリストなら説明するのが当たり前だと思うのはそれこそ当たり前なのだが、アナウンサーがジャーナリストなのかと自問すると、どうも私自身はっきりしないのである。私の年代では、アナウンサーといえばNHKのアナウンサーのイメージが強く、どう見てもアナウンサーは報告者、それもとても生真面目な報告者と思い込んできた。

 総じて器用な人がキャスターやアナウンサーになるのだろうが、日々のニュースの多様な内容などすべて知る訳がない。もっと無骨に専門家の説明をそのまま提供し、話すのがうまいアナウンサーは台本を読むことに徹するべきなのかもしれない。だが、そこは人間で、語ることの中に、時には説明や解説が入り、つい自分の意見や主張が出るのは仕方のないこと。そこに語ることの真髄があるのだが(そして、そのことがここで一番言いたいことなのだが)…それは始終ではなく、時たまあることによってかえって効果的なのである。説明が如何に奥深いものか、さらには主張がどのような効果を生むか、賢いキャスターやアナウンサーなら熟知している筈で、今更幸兵衛の如く意見する必要もないだろう。

 政治家の発言の解釈、その発言の何が問題なのか、そんなことは実は重要なことでもなんでもないのである。アナウンサーやキャスターにとって第一の役割は、世論をつくることではなく、政治家が言ったことを正しく伝えることなのである。これは政治だけでなく、社会のどんなことにも通用することではあるまいか。

                                                                                                                  (小言幸兵衛)