住吉神社の晴海の分社

  有明の隣は晴海で、そこは中央区。下町の代表となれば台東区なのだが、中央区もれっきとした下町で、銀座、築地、月島といった地名が並ぶ。「佃祭」を調べていて、住吉神社の由来など探っていると、何と晴海と牡丹(江東区)に住吉神社の分社があるではないか。どんな宗教も本社や分社、本山や末寺をもっているが、そのささやかな例を発見という訳である。

 さて、その晴海の分社であるが、とても小さく、いかにも分社という風情である。創建は1971年。すぐ横のビルの一階部分は東京鰹節類卸商業協同組合とそれに加盟する商店が占めていて、その傍に晴海分社が置かれている。鰹節のいい香りが辺りに漂っていて、いかにも高級そうな鰹節が箱詰めされていた。きっと築地で高値で売られるに違いない。晴海分社は綺麗に掃除がなされ、手入れの行き届いた8畳あるかないかの境内。きっと誰かが毎日掃除しているに違いない。再開発が進み、周りは高層ビルが林立し、さらにオリンピック・パラリンピックの選手村の建設が進んでいる。そんな環境に見事に対峙する晴海の住吉神社の姿は江戸っ子魂を彷彿させるのである。

 鰹節といえば、住吉神社に鯨塚ではなく鰹塚があった、と突然に思い出した。とても見事な石碑だったと記憶していたが、分社の場所と関係があるのかどうか、俄然好奇心が疼き出した。そこでまた調べる羽目になったのだが、その結果、確かに関係が大ありで、何とこの協同組合が鰹塚を建てたのだった。

 住吉神社の境内には「鰹塚」の大きな石碑が建っている。この石碑は昭和28年東京鰹節類卸商業協同組合によって建てられた。動物の碑の一つということから、その碑から読み取れる人間の態度について、川田順造は「他の生命の犠牲によってしか生きるすべのない人間のかなしい業を自覚し、生きること自体が含む矛盾を受け入れ、自覚することでそれを超えようとする態度」だと述べている。文化人類学とは難解に物事を考えるもので、こんな西欧的な思弁を江戸っ子がしていたとは到底思えないのだが…といって、誤っている訳でもなく、それほどに大雑把な表現ということか。

 鰹節問屋は江戸時代から、住吉大神を生業繁栄の守護神として奉賛してきた。神社建築では棟木の上に鰹節に似た内柱状の飾り木「堅魚木(かつおぎ)」が横に並んでいる。わが国最古の法典である「大宝律令」、「養老律令」の海産物調賦に、堅魚、煮堅魚、堅魚煎汁(かたうおいろり)の記録があるように、大和民族は古来より鰹を食し、保存食調味料としても利用してきた。東京鰹節卸商業協同組合は、鰹の御霊に感謝慰霊の意を込め、また豊漁を願い、「鰹塚」を建立した。そんなことがこの碑を建てた理由という訳である。

 表面の見事な揮毫は、日展審査員で組合員、鰹節問屋「中弥」店主の山崎節堂、裏面の撰は何と池田彌三郎。池田彌三郎は江戸っ子であり、私の大先輩でもあるので、彼の撰を一部省略して挙げておこう(改行は私が勝手に行った)。

 

鰹塚縁起 池田彌三郎撰

 この東京佃島に鎮座ある住吉大神は國土平諸人幸福を輿へたまふ神として尊ばれておいでになる

 とりわけ海上の安全を守護し給ふ神徳のあらたかさを以って神功皇后の古から幾星霜にわたって海に冨を得幸を求めようとする人の篤い崇敬をうけて来られたことは今更申すまでもない

 私ども東京鰹節問屋の組合でも江戸時代の初めから今に到るまで此大神を私どものなりはひの為の守護神と崇め敬ひ奉仕の誠心を致し来つたのである 

 今日私どもの生業がかくの如く繁榮を来したのも全く此大神のみたまのふゆの致す所と感謝し奉つてゐる  …(以下略)

 昭和二十八年歳在癸巳五月穀旦

 東京鰹節類卸商業協同組合

 株式会會社東京鰹節取引所

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