追悼

 中国の民主活動家でノーベル平和賞受賞者の劉暁波氏が13日午後5時35分、多臓器不全で瀋陽の病院で61歳で死去。劉氏は、中国共産党の独裁を批判し、自由、民主の尊重を求める宣言文「08憲章」の起案を主導。1955年、吉林省に生まれ、北京師範大講師だった1988年に渡米。89年4月に帰国し、天安門広場でハンストを決行して「天安門広場四君子」の一人となった。天安門事件後に拘束され、釈放後も中国内で活動を続けた。2010年には国家政権転覆扇動罪で懲役11年の刑が確定。同年のノーベル平和賞は獄中での受賞になった。授賞式では「私自身が中国で続いてきた『文字獄(言論弾圧)』の最後の犠牲者となることを望む」という劉氏の文章が代読された。

 

 「多様性を守ること」と「一様性を実現すること」の果てしない諍いは普遍的な諍いで、物理的世界から心理的世界まで共通して見られる。科学は多様性や一様性を験証しようとするが、それらを守ったり、実現したりはしない。それらを守ったり、実現したりするのは私たち自身である。

 多様で混沌としていてまとまりがない世界と、整然として一様な秩序ある世界とを比較し、いずれがよいかと問われれば、何と答えるだろうか。一様で秩序ある世界がよいと答えるのが必ずしも正しくないということは、生物多様性や民族・文化の多様性、個人主義や民主主義が好ましい主張だというヨーロッパ的な常識が今でも多くの人に受け入れられていることを考えれば、明らかだろう。

 戦前の日本の政治体制も、共産党一党独裁の政治体制も、厳しい秩序によって世界や国を支配することを目指す。体制を守ることが最善であるという神話を全面的に信じさせることが過去にあっただけでなく、現在もまだ続いている。神も王も、そして政党も「絶対的」という御旗のもとでは同じような効力を発揮できる。封建制絶対王政一党独裁は王やリーダーを頂点とする秩序ある階級社会を実現し、それを保持しようとしてきた。

 様々な思想、哲学が併存し、個人は自らの好みに従って自由に選択できるのが自由社会だという考えは、現実にはまとまりのない、支離滅裂の社会を生み出し、いずれは滅亡するしかない結末が簡単に予想できるのだが、かつて人々はそれに価値を見出した。各人が好きなことができるためには、好きなことを勝手に選べることが不可欠であり、その自由な選択には歴史的な必然など存在しない。それでもギリシャ時代以来、そのような社会が望ましいモデルとして受け取られ、遂には近代市民社会の雛型になった。どうしてモデルとして採用されたのか、それは歴史的な、弁証法的な結果だというのでは余りに夢がない。

 デカルト以来の意識の存在、つまり人の心が外部世界と独立に存在し、心の内の世界として認知されると、何かを自由に意識し、思考し、推論し、その結果を取捨選択しながら外部世界に適用できると措定された。物理世界と心理世界はまるで異なるが、両立し、対峙する。自由に勝手に好きなことを想像し、欲望することは、物理世界をカオスの世界にするようにみえて、自制によって秩序を保つことができる。個人主義自由主義はまずは精神の世界の奔放な主張であり、可能な限り物理世界で実現させても構わない。それを制限するのは多数決によって決められる規則、法律である。

 自由は社会では選択の自由。簡単には「いずれでも可」、「好きなように選べる」といういい加減さである。職業、生き方、嗜好品等々、強制されることなく自由意志で選ぶことができることが社会の中での「自由」であり、それが近代化の原則だった。なんでも恣意的に、勝手にできることが人間の自然な姿である。

 考える対象は何でも可能。どんな卑猥なことでも考えるだけでは罪にならない。想像の世界は好きなことが実現できる世界であり、現実離れこそ心の能力なのである。これに対して規約、法律、契約等によって、行為を規制することは「いずれかでなければならない」、「好きなようには選べない」という不自由なことである。これは自由ではなく、強制、強要であり、それはできるだけ緩やかなことが望ましいと思われてきた。

 自由に自らの社会を決められないことが問題としてずっと議論されてきた。社会の在り方が最初から決まっている訳ではなく、それは人々が恣意的に選んで決めるもの。科学理論の主張は人々が恣意的に決めるものではないが、共産主義や資本主義という思想は人々がそれを採用するかどうかを恣意的に決めることができるもの。個人中心の人権重視の政治思想、権利と義務に敏感な社会は、ダーウィンの個体中心の自然選択説が含意するものだった。だが、今回の劉暁波氏の死去は、彼が生きた国が「好きなことを勝手に主張できない」窮屈この上ない社会であることを再認識させ、さらに、自らの体制を自由に選ぶことが遥か遠くの絵に描いた餅に過ぎないことを実感させるのである。