長崎の祈り

  広島の原爆ドーム被爆遺産だが、長崎にはそれがない。実は原爆ドームより遥かに強烈な遺産があった。それが浦上天主堂(現カトリック浦上教会)。8月9日小倉上空の雲が濃く、第二目標の長崎に原爆が投下された。投下予定地から4km北にずれ、浦上天主堂の真上近くで爆発。

 幕末に日本が開国して、長崎の外国人居住区に「大浦天主堂」が建てられると、浦上の隠れキリシタンの人たちが密かに神父に会いに来た。これがローマ法王に報告され、「東洋の奇跡」と言われた。ところが、明治政府のキリシタン弾圧は止まず、浦上のキリスト信者3400人は拷問や病死で600人が死んでしまう。それが欧米各国に知られ、政府は明治6年にやっとキリスト教禁令を撤廃する。

 故郷の浦上に帰った信者たちは、煉瓦を一個ずつ買い、明治28年から大正14年まで30年かけて、ついに浦上天主堂を完成させる。そんな浦上天主堂に20年後原爆が落とされたのである。被爆者であり、キリスト教徒である長崎大学医学部の永井隆教授が書いた『長崎の鐘』が大ヒットし、廃墟を被爆の歴史遺産として保存しようと多くの人が考えた。

 一方、アメリカ政府は、原爆を使わなかったら、双方に50万人以上の戦死者が予想され、原爆はそれを阻止するための手段だったと説明し、これは今でも公式の見解になっている。長崎の原爆遺構として、キリスト教会の廃墟が永遠に残されるというのは、アメリカには不都合極まりないことである。教会廃墟が残る限り、長崎は日本人の悲劇というだけでなく、キリスト教信者をも含む全人類に対して、原爆の悲劇の聖地ということになる。浦上天主堂の再建費用を寄付するが、浦上天主堂の廃墟を撤去することがアメリカの条件だったらしい。

 そして、1958年浦上天主堂の被曝遺構は破壊され、翌年今の教会ができた。