可変なものから不変なものへ:言語化

 ものごとの本質は何かと問われて、それは「諸行無常」であり、「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。」とつい口ずさんでしまいます。この『平家物語』の書き出し部分は響きが良く、つい朗読したくなります。さらに、「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世中にある人と住みかと、またかくのごとし。」と誰もが続けたくなります。鴨長明による『方丈記』の冒頭は、『平家物語』の冒頭とともに私たちのお気に入りの一節です。いずれにしろ、ものごとの本質は「諸行無常」であり、現象や表象と呼ばれるものは共通して絶えず変化して留まることがないことを共通の特徴にしています。

 ところで、西洋に目を転じると哲学者ヘラクレイトスの標語「万物流転」に逢着します。彼が主張したいことは「人は同じ川の水に二度と入ることができない」ということです。ヘラクレイトス鴨長明も川の流れをじっと見つめて同じ思いにとらわれ、哲学したようです。この世に不変なものは何もなく、すべて川の水のように流れ去っていくと彼は考えました。でも、川そのものはなくならず、川の流れとは違って消え去ることはありません。

 では、この「川」とは一体何でしょうか。例えば、新潟の信濃川といえば誰もが知っていて、地図にも載っています。車で走るとき、あれが信濃川だと指差すことができるし、堤防には「一級河川信濃川」と看板が出ています。ですから、信濃川が実際に存在することに誰も疑念を挟む余地はありません。

 信濃川は実際に存在するわけですから、そのものを指し示したり、取り出したりすることができます。少なくとも見ているだけでなく直接その水に触れることができます。でも、その水自体は同じではないとヘラクレイトスは考えたわけです。堤防の上に立って川の流れを見下ろして、対岸の堤防との間が信濃川だと言うこともできます。このように「信濃川の水」、「信濃川の堤防」は直接指し示すことができますが、いずれも信濃川そのものではありません。すると、信濃川とは何でしょうか。それがつまるところ信濃川の定義なのです。固有名詞「信濃川」の定義が「信濃川とは何か」に対する答えになるのです。

 名前は水の流れと違って、不変で確かなものです。では、固有名詞「信濃川」が生まれる前はどうだったのでしょうか。信濃川という名前より以前に千曲川という呼び名が既にあったのかも知れません。あるいは、固有名詞ではなく単に水の大きな流れを意味する普通名詞「大川」だったかも知れません。いずれにしろ、いつかどこかで誰かが「信濃川」と命名し、それを固有名詞として使い出し、その使用が歴史的に継続されてきたのです。  このように信濃川の流れは日々変化しているので、不変の物理的対象としては同一とは言えないのですが、信州から越後に向かう水の流れである信濃川の定義(=本質)というものは不変です。この不変な本質に対して「信濃川」という固有名詞がつくられたのです。

 別の川、例えば利根川流域に住んでいる人たちが日常生活で意味する川は、信濃川とは物理的対象としては別の川です。この物理的対象の本質を利根川という固有名詞で呼びます。場所の異なるこれらの川も水の流れという意味では同じです。ですから、この本質を単に「川」と名付けます。この普通名詞が個々の固有名詞から場所の要素を除いた、さらなる本質です。

 伝統的な名辞は一般名詞と固有名詞からなっていて、概念と個物を指します。概念の外延や外延内の対象が、集合やクラス、メンバーやインスタンスです。同じ種類の対象を集め、まとめて抽象化したものが集合やクラスで、まず具体的な対象を見つけてグループとしてまとめ、それを抽象化して集合やクラスにするという流れが自然です。  さて、現実世界に戻りましょう。川を幾つも見るという経験を積んでいくと「川」とは何であるかというイメージが自然に形成されていきます。つまり、具体的な信濃川という対象と利根川という対象を概念化して「川」というクラスを作成します。いったんクラスができると、例えば、淀川を見たことがなくても「川」のインスタンスとしてそれなりにイメージできるわけです。

 信濃川利根川は始めは独立した対象ですが、いったんクラス「川」として概念化されるとそのクラスのインスタンスとして同じグループとなり、淀川もこのグループのメンバーとして認識することができます。信濃川利根川などの固有名詞は対象です。これらを概念化した「川」という普通名詞で呼ばれるものがクラスに当たります。川は水とその流れの道筋を持っています。個々の川は季節や天候によりその水量や流れの道筋などの状態は変化します。つまり川という抽象概念は不変ですが、具体的な川の状態については刻一刻変化していきます。この世のすべてのものは流れ去るものですが、この抽象概念は不変です。でも、抽象概念も実は全く不変という訳ではなく、あくまで相対的な不変性に過ぎません。別のグループ化が行われ、新しい普通名詞ができると、古い名詞は忘れられることになります。

 日常使われる自然言語はふんだんに固有名詞をもっています。固有名詞のクラスはいつも一定ではなく、始終変わっています。新しい固有名詞がつくられ、古い固有名詞は捨て去られていきます。科学言語では固有名詞は極端に少なく、いわゆる定数しかありません。固有名詞は特定の対象を指しますが、普通名詞は任意の対象を指すため、より一般的な言明をつくることができ、それが自然法則につながることになります。