地球温暖化阻止への無策が示唆するもの

  COP21が開催されたパリで、2015年12月に採択された、気候変動抑制に関する多国間の国際的な合意が「パリ協定」。この協定は温室効果ガス二大排出国である中国とアメリカが同時批准し、11月4日に発効した。1997年に採択された京都議定書以来、18年ぶりとなる気候変動に関する国際的枠組であり、気候変動枠組条約に加盟する全196カ国全てが参加する枠組みとしては世界初である。だが、2017年6月、ドナルド・トランプは「中国、ロシア、インドは何も貢献しないのに米国が何十億ドルも払う不公平な協定」として米国が本協定から離脱すると表明した。

 人がどれだけ温暖化が危険なことかを知り損ねていたとしても、そんな事情にはお構いなしに温暖化は進行していき、天変地異は常態化し始めている。人も国もは自らの損得勘定で動くために、全員が一致協力して温暖化に同じ対応をすることはまず考えられない。私たちのほとんどの行為は生得的に利己的だからである。自由意思によって自らの行動を選択し、実行することが進化の結果であるから、地球温暖化に対してもそれぞれが独自の反応を示す。一致団結を阻むのが人間のもつ利己的思考と欲望である。それは個人の域にとどまらず、国もその典型例となってきた。国とはそもそも利己的集団なのである。

 自然災害や社会の危機に人や国が一致団結して立ち向かうことはこれまでも何度もあった。だが、地球温暖化については初めてである。だから、私たちにも前代未聞の経験なのである。小学校で個人に差をつけない教育が行われたことがあるが、そしてそれは大変に不評だったのだが、一つの課題に全員で協力して立ち向かうというような課題には有効なのかも知れない。温暖化への全員一致による対応はこれまでの人の進化に抗することにあるだけでなく、人の歴史、文化、習慣のすべてに抗する新機軸になる。

 残念ながら、「一致団結して対応する」という行動パターンを真に実行しようとすれば、何が必要かの情報が著しく欠けている。多分、歴史的に宗教儀礼、特に祭りは一致団結を示すものだったのだろう。そして、祭りの実行には神を信じ、伝統に従うだけでよかったのである。これは法律も然りである。だが、温暖化を防ぐことは祭りや法律と違って、未来についての科学的予測だけに基づいている。残念ながら、その予測はまだ地震以上に曖昧で、事実として認めない科学者さえいる。予測が遠い将来の事柄で、しかも正確ではないとなると、人は急に楽天的になり、結論を先送りする。200年後の話は誰も気にしなくなる。というのも、自分の生きている間の出来事でないとなると、人は急に責任感を消失させ、結論を保留するのである。

 個人以外で可能な紐帯は共同体、その最大の集まりが国家。国のために戦うことは戦争であれ、オリンピックであれ、人々の心を高揚させる。国は時には個人の独立自尊に勝るのである。平和、核兵器廃絶といった普遍的な目標の実現には全員の協力が不可欠。ところがいずれの目標も今では誰も容易に実現できるとは考えていない、理想主義者の目標ということになっている。全員一致、全国一致の協力ができないからである。  核廃絶と温暖化対策を比べると、温暖化阻止の方がずっと容易な課題である。だが、それさえ今は暗礁に乗り上げている。