神の存在証明から(2)

  トマス・アクィナスの推論は次の通りだった。世界の出来事が無限にないことを仮定し、どのような出来事にも原因があり、その原因にはまた別の原因があるという具合に、原因を遡及する系列を考えた場合、それは無限に遡及できないことから、それ自身では他のものによって引き起こされない第一原因がなければならないことになる。この第一原因は世界の中の出来事を引き起こすのであるから、世界の中になく、そのような第一原因を性質としてもつものがなければならない。それが神である。

 第一原因の存在を証明するトマス・アクィナスの推論は既に述べたように正しくない。現在の私たちには無限概念は驚くべき概念でも恐れるべき概念でもない。したがって、最初の前提は多いに疑いの余地がある。さらに、「第一原因である」という性質から、そのような性質をもつものが存在するという推論も受け入れがたい。確かに、中世は無限概念を嫌い、恐れた。だが、だからといって無限の存在を消し去るわけにはいかない。

 ところで、「無限」とは一体どのようなものなのか。カントール(Georg Cantor, 1845-1918)によって明らかにされた無限概念は集合論という20世紀数学の基礎理論を生み出すことになった。「無限に分割する」、「無限に大きい」といった表現に正確で、矛盾のない意味を与えることは、自然数や実数という数学的な対象を正しく把握することになり、それらを基礎とする数学を確立することになるとカントールは考えた。その結果、素朴な集合論を経て、現在では公理的な集合論ができあがり、数学の基礎理論として使われてきた。

 能書きはこのくらいにして、「無限」に触れてみよう。自然数はいくつあるのか。それはどのように証明できるのか。これらの問題はそれほど厄介ではない。自然数が有限で、したがって、その中に最大のものがあったとしてみよう。その最大のものをnとすると、nに1を加えて自然数がつくられることから、n+1という自然数があることになる。すると、nは最大であったにもかかわらず、n < n+1であり、これは矛盾である。それゆえ、最大の自然数があるという最初の仮定が誤りであり、最大の自然数は存在せず、自然数は有限ではないことになる(当然ながら、自然数はその大きさに関して単調に並んでいて、循環しない)。つまり、自然数の個数は無限である。

 では、実数はどうか。自然数は実数の一部であり、その一部が無限なのであるから、当然実数の個数も無限であると考えることができる。では、同じサイズの無限なのか、それとも異なるサイズの無限なのか。カントールは「対角線論法」と呼ばれる手法を使うことによって実数の無限のサイズが自然数のそれより大きいことを示した。だが、ここでは詳しい証明は省き、直観的に次のことで理解してほしい。自然数は小さい方から順に、0、1、2、…と並べていくことができる。しかし、実数をこのように並べることができるだろうか。0から始めて、次に大きい実数は何か。私たちには実際にそれが何かを言うことができない。そのような数が存在することは証明できてもそれが何かは直接に指定できない。自然数の無限は番号をつけることができる(可付番、加算)が、実数は連続しており、可付番ではない(非可付番、非加算)。これで少なくとも2種類の無限があることがわかった。実際、無限の種類は無限にある。だが、自然数と実数の間に別の無限があるかどうかは今のところわからない。

 

(問)一番大きな無限がないことを帰謬法で証明しなさい。また、一番小さな無限が存在するかどうか説明しなさい。

 

(問)「0より大きい実数の中で最も小さい実数」と表現することによって、0の次の実数を指示することができます。この表現内容の通りに最も小さい実数を実際に見つけ、取り出すことができるでしょうか。0の次に大きい実数が存在することを証明することと、その存在が証明された数を実際に取り出すことを証明することとがどのように異なることなのか説明しなさい。

 

(問)これまでの無限の例は自然数や実数という数学的な集合ばかりだが、物理的な世界に無限のものは存在するでしょうか。