以前の(問)への解答例

 9月11日に「ユークリッド幾何学から非ユークリッド幾何学へ」というタイトルのノートを書きました。そのノートに二つの問いを出しましたが、その解答例を以下に書きます。気になっていた諸氏は前のノートと併せて参考にしてみて下さい。

 

(問)平行線の公理の否定形が「平行線が一本も引けない」と「平行線が二本以上引ける」の二つあることを説明しなさい。

(解答例)

 「平行線がある」の否定は「平行線がない」で簡単そのものなのですが、「平行線が正確に一本ある」の否定は少々厄介。「平行線が正確に一本ある」とは「(平行線があり)、かつ(他の平行線があれば、それは最初の平行線と同じである)」ということですから、その否定は「(平行線がない)か、あるいは(最初の平行線と違う平行線がある)」となります。つまり、「(平行線がない)か、あるいは(平行線が二本以上(少なくとも二本)引ける)」ということになります。

 

(問)最後の文「ユークリッド幾何学アプリオリに成立するか」について、あなたの考えを述べなさい。

(解答例:つまり、私の考え)

 カントは時間と空間が直観の形式であり、その空間はユークリッド幾何学の構造をもつと考えました。つまり、私たちは物理世界をユークリッド幾何学的な構造をもつものとして認識すると考えたのです。ユークリッド幾何学アプリオリに成立するとは、ユークリッド幾何学が経験的な検証、つまり実証がなくても成り立つということですが、それは認識の形式がユークリッド的であることから当然保証されるとカントは考えたのでしょう。物理空間がユークリッド的かどうかは物理学では当然検証が求められますが、直観の形式としての認知空間がユークリッド的かどうかは検証が必要なのでしょうか。それが生得的なら、ユークリッド的でない空間は私たちの認知空間ではなくなり、認知空間はユークリッド的ということになります。でも、「生得的」という語はとても曖昧で、要注意です。言語が生得的かそうでないかの議論はまだ続いていますが、それと同じように時間と空間の生得性もはっきりしません。また、それが獲得的なら、ユークリッド的、非ユークリッド的のいずれも可能ということになります。

 アプリオリに正しいとは、問答無用で正しいのだと言い張るのと同じです。ですから、どうしてアプリオリに正しいかの説明が必要になります。言語が生得的か獲得的かについては長い論争があると述べましたが、私たちが言葉を学習することは確かでも、そのプロセスと成果は見事としか言いようがありません。それは何か生得的な下地がなければ達成できません。それと同じようなことがユークリッド幾何学についても言えます。一方、学校で第二外国語を学ぶように、ユークリッド幾何学も中学校で習うことによって、私たちはその主要な定理を知るのです。つまり、言語もユークリッド幾何学も生得的な側面と獲得的な側面を併せもっているのです。

 従って、アプリオリに正しいとは実はとても曖昧なことなのです。