確率の傾向性解釈

 既に何度も確率の解釈について話してきました。その確率解釈の一つに傾向性解釈(propensity interpretation)があります。「傾向性」は確率的な性向(probabilistic disposition)のことです。では、この確率的な性向とは一体どのような性質なのでしょうか。性向は「...できる」という言い方をもつ言葉で表現されている性質です。例えば、「水溶性」はその性向の一つです。それは次のように定義できます。

Xが水溶的である ⇔ Xが通常の条件で水に浸されるなら、Xは水に溶解する

この定義は、ある「…ならば、―である」という文が真であれば、その場合に水溶であることを述べています。これはXが一度も水に浸されなくとも構わないことも示しています。さらに、通常の条件も重要です。また、この定義は決定論的な表現になっています。水溶的な物質は水に浸されるなら、水に溶けなければならないのです。
 確率の傾向性解釈は「…ならば、―である」という文によく似た説明をします。コインが投げられると、その表の出る確率は0.5であるとしてみましょう。もしこれが正しいなら、何がこの正しさを生んでいるのでしょうか。コインが特別の性向である傾向性をもっているからであるというのがこの解釈の答えです。もしコインの表の出る確率が0.5なら、それは投げられたとき表の出る強さ50%の傾向性をもっているのです。それはちょうど砂糖の塊が水に入れられると溶けるというのと同じです。
 傾向性解釈は決定論的性向と確率的な傾向性の間の類比を強調します。ある対象が可溶であるかどうか見つけるには二つの方法があります。もっともわかりやすく、明らかな方法はそれを水に浸し、それが溶けるかどうか見ることです。二番目の方法は、その対象が可溶な物理的構成になっているかどうか調べることです。つまり、性向はそれに伴う振舞いと物理的な基盤をもっているのです。そのいずれかを使うことによって対象が当の性向をもっているかどうか見出すことができます。類比的に考えるなら、これは確率的な性向についても正しいことになります。コインが公平かどうかを二つのいずれかの方法によって調べることができます。実際に何回か投げてみる、あるいはコインの物理構造を調べてみる、これらのいずれかによって公平かどうかわかります。つまり、確率的な性向もその振舞いあるいは物理的構造から見出すことができるという訳です。
 それでもなお、この傾向性解釈には疑いの余地があります。まず、説明が十分一般的でない点です。傾向性解釈での原因と結果の関係は「…ならば、―である」で表されています。でも、「…ならば、―である」という関係はいつも因果関係を表すわけではありません。両親の遺伝子型は子孫の遺伝子型の原因ですが、それと逆のことも「…ならば、―である」という形式で問題にできます。条件付き確率はいつでも因果関係を表している訳ではないのです。(「ならば」は因果的関係だけでなく、前提と帰結の論理的関係も表すことは既に述べました。)
 より基本的な問題は「傾向性」という言葉が「確率」という言葉の別の名前に過ぎないのではないかという点です。「傾向性」と「確率」のいずれがより明白な意味をもっているのでしょうか。もし「傾向性」の意味が確率概念を使ってしかわからないのであれば、この解釈は一層事態を複雑にするだけです。

(問)あなたにとって「確率」と「傾向性」はいずれが馴染みのある概念でしょうか。確率を使って傾向性を解釈する、傾向性を使って確率を解釈する、いずれがピッタリするか考えてみて下さい。