頻度主義かベイズ主義か

 確率の主観解釈と客観解釈について量子力学との関係で述べましたが、統計学では頻度主義(frequentism)とベイズ主義(Bayesianism)が今でも論争を繰り広げています。
 最初に学校で習う確率概念は基本的に頻度主義です。ランダムな事象が起こる頻度を確率とする考えです。例えば、サイコロの目が1になる確率を無限の数のサイコロを投げて、以下のような頻度を使った式で表したのが確率です。

P(1の目になる)= 1の目が出た数 / サイコロを振った数

 現実の世界では頻度主義で確率を求められないことが多々あります。例えば、検診を受けて何かの癌マーカーが陽性になった時、実際に癌である確率です。これも頻度主義で求めれないことはないのですが、計算には時間と工夫が必要です。頻度主義では不確かさの定量化はランダム性にのみ基づくのに対し、ベイズ主義では情報が不足していることにも基づくとし、不確かさの定量化を広く考えます。
 ベイズ確率は、「ベイズの定理」の特別な場合を証明した18世紀イギリスの確率論研究家トマス・ベイズにちなんだ命名(実際の命名は1950年代)ですが、ベイズ自身が現在のようなベイズ確率やベイズ推定の考え方を持っていたかどうかは定かではありません。ベイズ確率の考え方を積極的に用いたのはフランスの数学者、物理学者のラプラスです。彼はそれを「土星の質量を確率的に見積もる」という問題に応用しました。しかし、彼以後は長らくこの考え方は顧みられませんでした。土星の質量は推測値だからと言っても確率的に分布するわけではなく、観測誤差の方が確率的に分布するのだと頻度主義では考えます。特に、19世紀末以降に発展した数理統計学は専ら頻度主義に基づいて厳密な理論を構築しました。
 確率の主観的解釈(のちにベイズ主義と呼ばれる)は1931年に哲学者、数学者のラムゼイによって提唱され、彼は別の主観確率(論理確率)の支持者だったケインズと論争をしていますが、彼自身はこれを頻度主義的解釈の単なる補助としか考えませんでした。これをさらに厳密に取り上げたのは統計学者フィネッティです。さらに、1954年に初めて詳細な分析を加えたのはサベッジで、彼の考え方にベイズ主義という呼び名が適用されました。頻度主義者とベイズ主義者の亀裂は現在でも埋まっていません。
 ここで主観確率客観確率について再度振り返ってみましょう。客観確率とは、世界の中に存在する頻度や傾向性など、われわれの主観とは独立に存在する確率を指していました。客観確率は実験または理論的考察から求められ、客観的な観測結果と比較できるランダムな事象についての確率です。
 典型的な客観確率は、ある事象が起きる頻度の観測結果に基づいて、無限回繰り返した際の極限値として定義されるもので、頻度主義と呼ばれてきました。これとは別に、「無差別の原理」(どちらが多いか少ないかといった情報のない事象の間では、それら事象に同じ確率を割り振るという原理)から論理的に確率が決まるとする論理主義や、対象の持つ傾向性を「確率」と呼ぶ傾向性解釈と呼ばれる立場も存在します。
 まず、論理主義については、何を無差別と見なすかによって答えが一意に定まらなくなるという問題があります。次に、頻度主義を取った場合、一回限りの出来事について確率を割り当てることができなくなってしまいます。例えば、「このサイコロで1の目が出る確率」は「このサイコロを無限回ふったときに1の目が出る頻度」と言い換えることができますが、「次にこのサイコロをふったときに1の目が出る確率」はそのような頻度の言葉に置き換えることができません。
 また、頻度について語るのが難しい対象、たとえば殺人事件の捜査で「A氏が犯人である」という確率を考える場合、A氏は犯人であるかないかのいずれかであり、そこには頻度は存在しません。しかし、こういう場合に確率という言葉がしばしば使われるのも確かです。この難点をふまえて登場したのが傾向性解釈でした。傾向性解釈では、「次にこのサイコロを振ったときに1の目が出る確率」は、「次にこのサイコロを振ったときに、このサイコロやそれを取り巻く環境の持つ、1の目を出す傾向の度合い」と言い換えることになります。「A氏が犯人である確率」もA氏の持つ傾向の度合いとして解釈し直すことができます。しかし、確率が物理的な基礎から離れれば離れるほど「傾向」を取り出すのが難しくなります。
 しばらく前に量子ベイズ主義(Qビズム)が注目を浴びたことがありました。量子力学の解釈は、研究者だけでなく普通の人々の頭もヒートアップさせるようです。量子状態を実在するものとは考えず、観測者が持っているそのシステムの知識に依存する情報的概念とするのが量子ベイズ主義です。つまり、量子ベイズ主義は量子力学実在論ではなく、認識論と見做すのです。また、通常は原子やそれより小さな対象を扱うのが量子力学だとされていますが、人間やシュレーディンガーの猫を含むマクロなシステムまで量子力学は適用可能だと明言します。量子ベイズ主義は、確率の主観解釈を用いた認識論的解釈なのです。
 量子力学には主観解釈のQビズムを取り込む余地は常に開かれています。Qビズムの主観確率は、猫はどの「純粋」量子状態にあるのかと予想する時の主観確率です。情報が不足して予想が確定的でなければ、純粋状態を信念の度合いに応じて混ぜ合わせた混合状態で記述するわけです。猫のようなマクロなシステムでもいいのですが、もちろん電子スピンなどのミクロなシステムでも同様。そして、電子スピンの干渉効果も(また猫の干渉効果も原理的には)Qビズムで記述可能だと主張するのです。