「哲学の議論とはどのようなものか」

 現場の問い「コイン投げは確定的、それとも確率的」に対する解答例

(0)はじめに

 かつての大学は神学、法学、そして哲学の三つの学部からなり、神と法律以外の知識なら何でも哲学部に属し、いわば雑居房だった。つまり、哲学は科学を含むあらゆる研究を許す、寛容な学部だった。だが、19世紀後半からこの雑居房は次第に整理され、特定の房として独立していく。当然ながら雑居房の質と量は減じ、哲学部自体が消滅する。

 独立した個別科学と違って、雑居房のままの哲学は大まかで、原理的な議論に明け暮れ、その結果、実用には向かないと軽蔑される場合が多いが、その責任の大半は哲学側にある。疑問、問題に哲学と個別科学の違いはない。同じ穴のムジナだった哲学と科学は共同研究できる筈なのだが、とりわけ日本ではその常識が非常識だと思われてきた。房の垣根は低い程いいに決まっていて、独立した房に果敢に攻め入るのに玄人も素人もない。元々誰も素人だったのだから。

 哲学も個別科学も何かを叙述し、解説することではない。いずれもわからないことをわかるように説明することを目指している。哲学での説明の典型は論証、証明であり、理屈を使って知ることである。誰かが考えたことを議論するのは哲学や科学の第一の仕事ではない。哲学も科学も誰が何をどう考えたかではなく、自然の謎を直接に考えることである。逆説的だが、思想史、哲学史科学史は哲学や科学の実際の活動とは実は何の関係もないのである。能書きはこのくらいにして、現場に臨んでみよう。

 

(1)還元主義的、決定論的推論の例

 「確定的」とか「確率的」、あるいは「決定(論)的」とか「非決定(論)的」と言われる事柄は、一体どのようなことなのか。「確定的なのか、それとも確率的なのか」という問いは基本的で単純な問いなので、十分な議論が展開できて、満足できる解答が直ぐに見出せそうなのだが、本当にそれが正しいかどうかの明晰・判明な判定は意外に厄介なのである。そこで、曖昧で灰色の議論や結論を実際以上に際立たせることによって、何が問題なのかを浮き彫りにすることからスタートしてみよう。 次のような還元主義的な推論は哲学では珍しいものではない。(1)と(2)の言明の意味はさておき、二つを認めるならば、(3)が帰結することは論理的に自明だろう。

(1)古典力学ラプラス的な普遍的決定論を含意する。

(2)生物学は古典力学に還元できる。

(3)それゆえ、生物学ではラプラス的な普遍的決定論が成立し、したがって、生物学における確率の使用は単に知識の不十分さの表明に過ぎない。

この推論は生物学だけでなく、マクロな対象を扱う特殊科学に対しても成立する。そこから、マクロな世界での確率の使用はミクロな世界での使用と違って知識の不十分さによるものであり、確率の解釈は主観的な解釈ということになる。だが、生物学者にとってこの結論は決して受け入れられるものではない。遺伝の確率モデルが力学モデルに還元できないことを示すことができれば、この推論が誤りであることがわかり、生物学の(古典力学からの)自律性を示すことができる。そこで、集団遺伝学のモデルやコイン投げのモデルを通じて、上の推論が正しいかどうかを考えてみよう。

 

(2)任意交配モデルについての生物学者の主張

  生物学者は任意交配モデルが確率的で、そこでのメンデル法則は確率過程を述べたものであると考え、その具体的な内容を1遺伝子座2対立遺伝子の場合について、次のように説明した。三つの遺伝子型(AA、Aa、aa)について、両親の遺伝子型に応じて子供の遺伝子型の確率がメンデル法則によって計算できる。この任意交配のメンデル的な過程では親の遺伝子型から子供の遺伝子型の確率は計算できるが、その逆、つまり子供の遺伝子型から親の遺伝子型の確率は計算できない。同じ原因から同じ結果という古典実在論を支える因果律は、同じ原因から同じ確率の結果と一般化できそうであるが、同じ結果から同じ原因という逆の因果律古典力学では成立しても、メンデル法則による確率的な一般化では成立していない。この点に注目してメンデル集団の任意交配はコイン投げと同じ型のモデルをもつことを確認しようと生物学者は考え、コイン投げと、進化の要因が一切働いていない遺伝子プールからの任意交配を取り上げた。コインは区別がない二枚を同時に投げ、出た結果が表の場合をA、裏の場合をa と記すことにすると、次のようなコイン投げの系列が得られる。

(Aa), (aa), (aa), (AA), (Aa),......

また、任意交配の場合も、それぞれの遺伝子をA、a とすれば、

(aa), (AA), (Aa), (AA), (Aa),......

といった系列が交配と共にできあがっていく。遺伝子A とa の割合p、1 - p を0.5とすることで、公平なコイン投げの場合に合わせることができる。しかし、二つの実験は全く同じではない。遺伝子プールは有限個の遺伝子しか含んでいない。それに対してコイン投げは望めば何回でも行うことができる。そこで、遺伝子プールの遺伝子総数の半分の回数、つまりは同じ回数だけ一回の実験を行うようにした。したがって、一回の実験の二つの系列は同数の対からなっている。遺伝子プールのサイズは様々なので、それに合わせて異なるサイズの遺伝子プールについて同じ条件のもとで実験できる。さらに、適当な回数(集団の数の半数未満)をあらかじめ決め、その回数に合わせてコイン投げと任意交配の実験を行えば、浮動の効果を見ることができる。この簡単な実験を生物学者は二つのことを確かめるために行った。任意交配する、進化要因が全く働いていない集団でも遺伝的な浮動が働き、それは純粋に確率的な現象で生物にだけ特有な現象ではないこと、そしてその系列がマルコフ連鎖(Markov chain)であることを示すことであった。サンプリングエラーである浮動は、「有限の集団に浮動がない場合」といった仮定が原理上できないという点で自然選択とは随分異なっている。実際,試行回数をあらかじめ決めた場合の何回かの系列の相対頻度は決して0.5 ではなく、その周りに散らばっていた。得られた系列の分布の特徴は独立試行のMarkov chain、つまりは酔歩(random walk)になっていた。その裏付けは、コイン投げが確率論の教科書で代表的な例になるほどに、その構造がよく知られている点にあった。そこで生物学者は任意交配が独立試行であり、またMarkov chain と同じであることを次のように考えた。コイン投げも任意交配も系列の長さn に独立に、定常な遷移確率をもつMarkov chain となる。二つの状態で、Xnを時点nでの状態とすると、

 P(Xn + 1 = 1 | Xn = 0) = p  

 P(Xn + 1 = 0 | Xn = 1) = q

がそれぞれの遷移確率となる。(ここでp, q を0.5 とすればこれまでの場合に対応する。)初期分布P(X0 = 0), P(X0 = 1)が与えられれば、逐次各状態の確率が計算できる。例えば、初期分布P(X0 = 0) = q/(p + q)、P(X0 = 1) = p/(p + q)から出発すると、

P(Xn = 0) = q/(p + q)

P(Xn = 1) = p/(p + q)

となる。コイン投げや任意交配は連続的に変化するのではなく、1 から0 へ、あるいは0 から1 へと飛躍的に変化するのでMarkov chain のなかでも、純飛躍的な過程である。random walk は運動の変化や分布を拡散(diffusion)現象として捉える方向に、Markov chain は変化の確率的な分布を確率過程(stochastic process)として捉える方向にとそれぞれその展開のされ方は異なるが、基本的な立脚点は同じである。その立脚点とは、ある事象から次の事象が起こることの間には確率的なつながりしかないということである。生物学者にとって重要であったのはこの確率的なつながりであり、それが任意交配の場合にも成立するということであった。そこで彼女は次のように結論した。

 有限集団の任意交配は、独立試行からなるMarkov chain であり、コイン投げやrandom walkと同じように確率的な現象である。そして、有限の集団ではいつも浮動が存在する。 さらに生物学者は任意交配が確率的であることから、進化は確率的であると結論した。浮動は自然のどのような交配集団にも必然的に生じ、そのような交配集団が進化を生み出しているのであるから、生み出される結果はそこに確率的な過程を含むことになり、そこから「進化は確率的である、あるいは確率的な要素を含む」という命題は経験的に正しいと結論した。

(つづく)