元居留地の残滓

 1869年築地は外国人居留地になったのだが、商人たちは横浜に留まり、実業以外の人々が多く築地に集まり、それが歴史的に重要な役割を演じることになった。だが、震災で全ては壊れてしまった。残念なことに、今居留地跡に残るのは記念碑(と記録)だけである。聖路加の周辺は記念碑だらけ。本人が欠席して名札だけがあるようなもので、何とも空々しいのだ。でも、それが今の明石町界隈。そこが居留地で、かつては日本を動かす震源地の一つだったということは記録からわかるのだが、その場所にそれを示す証拠の品はなく、名札だけがついているというのは何とも興ざめな話。記念碑など会ったこともない先祖の戒名のようなものだと感じさせてしまう。
 天災で洋館は消失、街は再建だから致し方ないのだが、何とも口惜しい限り。過去が地震に壊されたことは悪い面ばかりではないのだが、本物が何も残っていないとなると記念碑など意味を失うというものである。愚痴っても詮なきことだが、過剰に並ぶ記念碑を見て、「私たちは歴史を大切にしているのか、それとも大切にしてこなかったのか」、複雑な思いに駆られるのである。
 聖路加のすぐ近くには本願寺がある。ここも佃の住人たちが苦労して寺を再建した跡など境内には微塵もない。境内の端の親鸞聖人に、あるいは、東京で最初の教会であり、居留地の面影を僅かに残す築地教会の聖母にこれらのことをあなた方ならどう考えるか尋ねてみたいものである。歴史を超えた真理を説く二人が、消え去った歴史をどのように説明してくれるのだろうか。

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築地本願寺、背景のビルは聖路加タワー

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親鸞聖人像

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築地教会

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居留地通りの聖母像