二人のルイセンコ

 ロシアには二人のルイセンコが同時代を破天荒に生きた。スターリンの時代、そのスターリンとの関係で二人は全く好対照な人生を送ることになった。「破天荒」とは「今まで人がなし得なかったことを初めて行うこと」、「前人未到の境地を切り開くこと」。二人は全く異なる領域で文字通り破天荒なことを行った。
 まずは進化論で擬似科学的な理論によってソビエト科学界と農業政策を独り占めしたのがウクライナ出身のトロフィム・ルイセンコ(1898-1976)。彼は生物学者かつ農学者で、ミチューリンの交配理論を支持し、メンデル遺伝学を否定し、排斥した。自らの説をルイセンコ理論と呼び、疑似科学運動に適用した。そして、彼の遺伝学説を支持したのがスターリン。1939年にはソ連科学アカデミー会員となり、翌年からソ連科学アカデミー遺伝学研究所所長を1965年まで勤め、正統派遺伝学者を逮捕、追放した。彼が提唱した農法は、ソ連農業を荒廃させたが、その実情は隠蔽された。ルイセンコによる反遺伝学キャンペーンは、スターリンの死後下火となったものの、ルイセンコは巻き返しを図り、フルシチョフを取り込むことに成功し、ソ連の集団農場で彼の人気は不動のものだった。
 今では進化論が思想、イデオロギーとして巧みに利用された科学史上の例として使われるが、欧米とは異なる独自の遺伝理論を提唱し、ソビエト連邦の農業政策として具体化した点で、ルイセンコの評判は芳しくないのだが、正に破天荒なことをした点では群を抜いている。

 もう一人のルイセンコは画家のウラジーミル・ルイセンコ(1903-1950s)。彼の絵が収蔵されているのがイゴール・サヴィツキー記念カラカルパクスタン共和国国立美術館。そう書いても、よくわからない。カラカルパクスタン共和国は、中央アジアウズベキスタン共和国内にある自治共和国。その首都ヌクスにあるのがイゴール・サヴィツキー記念カラカルパクスタン共和国国立美術館である。この美術館にはイゴール・サヴィツキーが生涯を賭けて集めた広範な美術品や民芸品が収蔵されているが、中でもソ連時代をくぐりぬけた950名にも及ぶロシア・アヴァンギャルドの遺産が集められている。この美術館そのものが1966年にサヴィツキーの並々ならぬ尽力により創設された。
 サヴィツキーの膨大なコレクションの中には画家の情報がほとんど残っていないものも数多く存在する。ルイセンコもその一人だが、彼の描いた「雄牛」は高い評価を受けている。この作品がスターリン弾圧を生き延びたのもサヴィツキーの功績である。
 美術館がもっている情報によれば、ルイセンコは1918年からタシケントに住んでいた。1930年代に彼はウズベキスタンの美術労働者の第1回共和国美術展覧会に関わり、多くの作品を出品した。1935年彼は捕らえられ、投獄される。1940年代後半には他の展覧会に出品し、1951年に再びタシケントに戻る。1953年には権利を回復するが、その生涯は他の多くのアヴァンギャルドの画家と同じで悲惨なものだった。

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(ルイセンコ「雄牛(Bull)」)

 余談だが、二人のルイセンコの先輩であり、やはり破天荒だったのがマルク・シャガール(1887-1985)。シャガールは既に日本でも何度も展覧会が開かれ、熱狂的なファンをもつ画家である。彼は1910年パリに赴き、5年間の滞在の後、故郷へ戻る。この頃の作品にはキュビスムの影響が強い。10月革命(1917年)後のロシアでしばらく生活するが、1922年故郷に見切りをつけ、再度パリに戻る。ロシア時代のシャガールロシア・アヴァンギャルドに参加して構成主義の影響の濃い作品、デザイン的作品を制作したが、出国後はいわゆる「愛」の作品を発表するようになる。

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シャガール「パラソルをもった牝牛」1946)