十返舎一九の墓

 一九は1831年66歳で亡くなり、浅草の東陽院に葬られた。その戒名は『心月院一九日光信士』。墓碑は、中央区の勝どきに移転した同院の門前に残る。何と清澄通りの歩道の端にあって、通る人は誰でも見て、触ることができる格好の場所にある。

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墓碑が歩道に直接面しているのは何とも珍しい。ところが、もっと珍しいのは東陽院の墓所。敷地が狭いため、建物の二階室内に墓所があり、一九の墓もここにある。納骨堂や室内霊廟は今では珍しくないが、その先取りといったところか。今風の霊廟と違うのは屋外の墓がそのまま屋内に置かれていることである。「窮すれば通ず」という妙案だったのだろうが、一九なら果たして何と言うだろうか。

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 墓には熊手と宝珠の絵が彫られていて、知識を掻き集めたことから熊手をトレードマークに選んだとのこと。墓石の側面には何とも軽妙な辞世の句が彫られている。
 「此の世をば どりゃお暇に 線香の 煙と共に 灰左様なら」
 一九は30歳の時に奉公していた江戸の製本屋の店主にその文才を認められ、執筆活動に入る。毎年20作ほど書きまくる猛烈な執筆を続けるうちに、『東海道中膝栗毛』が空前のベストセラーとなる。当時は庶民層にも経済的なゆとりが生まれ、寺社参りなど「旅」がブームになり出していて、それが一九に味方した。
*一九の墓の動画(https://www.youtube.com/watch?v=FmQClll1Az8&feature=share