知ること(7):懐疑論の展開

[ヒュームの懐疑論への対応]
 哲学者たちは様々な仕方でヒュームの帰納的な懐疑論を克服しようとしてきた。ラッセルもその一人で、帰納的な方法をアプリオリに正当化しようとした。彼は「帰納法の原理」と呼ぶアプリオリな原理に訴えることによってしか帰納法は正当化できないと述べている。ライヘンバッハは自然が一様であるという信念を正当化することはできないというヒュームの主張を受け入れるが、帰納法は擁護しようとする。彼は擁護のために帰納法のもつ役割に注目する。その役割とは未来の予測であり、彼は他のどのような方法に比べても帰納法は未来を予測するのに適していると考えた。
 グッドマンは彼が「新しい帰納法の謎」と呼ぶものを導入する。伝統的見解では、帰納法はあらゆる性質に同じように適用される点で演繹に似ていた。演繹がいつでも普遍的に使用できるように、帰納法も普遍的に使えるという前提のもとで考えられてきた。しかし、グッドマンは帰納的な推論の使用が制限、制約をもっていることを示した。その結果、帰納法は普遍的な適用ができないということになる。既に述べた緑色のエメラルドの例を思い出してみよう。時刻t以前に多くのエメラルドが調べられ、それらはみな緑色であることがわかったとしよう。時刻tに、これら観察は時刻t以後に調べられるエメラルドは緑色であるという仮説を支持する。そこで、彼は新しい述語「緑青色(grue)」を導入する。

xは緑青色である ⇔ xは時刻t以前に調べられ、緑色であるか、あるいは、時刻t以前には調べられず、青色である

この述語のもとで考えると、将来のエメラルドが緑色であるということの証拠はみな同じように、将来のエメラルドが青色であるということの証拠でもあることになる。これでは将来のエメラルドの色について何も言えなくなる。だが、私たちは緑色のエメラルドは緑色仮説を支持するが、緑青色のエメラルドは緑青色仮説を支持しないと考えたくなる。このように考えたくなる理由は何なのか。グッドマンはこれを説明するのに「投影可能性」という概念を使う。そして、何が「緑色」を投影可能にし、「緑青色」を投影可能にしないのかと問う。「緑色」の投影可能性はその歴史に関連している。投影可能な一般化は過去の一般化においてしばしば用いられ、成功を収めてきたから可能なのである。これがグッドマンの解答である。グッドマンの考えは、生物のある性質の適応は、過去においてその生物の祖先がその性質をもっていて、うまく生存・繁殖できたからであるという歴史的な特徴づけと同じ構造をもっている。
[確率の懐疑論への応用]
 これら帰納法への哲学的な対処と並んで、私たちが忘れてならないのは確率・統計的な知識の帰納法への適用である。ヒュームの懐疑論が与えた影響は自然神学に対してだけではない。彼の懐疑論は自然科学も習慣的なものに過ぎないことを帰結する。自然科学は経験科学であり、経験科学は経験的知識を追求し、誤り得る。したがって、経験的知識の正当化はできなく、習慣的な恒常性しかない。この結論はヒュームの懐疑論に対するヒュームの答えであった。これに対する別の解決は確率論の登場によってもたらされた。私たちは既に確率とその解釈を考えた。そこでは自然に対して確率を使って理解することをもっぱら扱ったが、確率の対象を自然ではなく、私たちの信念にしたらどうなるだろうか。確率は信念の度合であるという解釈は主観的解釈であると述べたが、この解釈を使って経験的な、誤る可能性をもった信念を考え、その合理的な正当化が図れないだろうか。これがベイズ的な解決の出発点である。
 確率の古典的解釈では無知と知の間にあるものは不問に付されていた。その間に何があるかといえば、知識ではない信念がある。その信念の度合を考え、真と偽の間に度合をもった信念を置けば、誤り得る、不確かな信念の合理的な扱いが可能であろうというのがベイズ的な解決の基本的な考え方である。この考えをすべての経験的知識に広げるならば、経験的知識についての確率的な確証理論を考えることができる。
 確率・統計革命(1820-1900)は1820年代に始まる社会についての数量的研究に端を発している。確率が含まれる統計的な理論を正当化する通常の数学的手法は「大数の法則」であるが、これは既に19世紀には知られていた法則である。統計集団の安定性、つまり、平均値の安定性はケトレー(Lambert A. J. Quetelet)が1820年に宣言した社会物理学という科学の基礎であった。その中心となる概念は「平均的人間(l'homme moyen)」であった。平均的人間は社会物理学の道具として考えられ、天体力学の法則と同じように、社会における法則の認識を助けるよう考えられた。マックスウェルやボルツマンは物理学にも統計的な法則という考えが使えると信じ、気体法則の統計的な解釈を試みた。
ベイズ主義の考え]
 このような確率・統計の応用は合理的な信念に対しても可能である。条件付きの基礎付け主義が自然科学において成功し、その成果は無条件の基礎付け主義より遥かに大きいのと同じように、ベイズ的な解決は条件付きの信念の正当化である。そして、その成果は20世紀の経験的知識の一翼を担うほどになった。
 ベイズ(Thomas Bayes)はヒュームと同時代に活躍したが、生前ほとんど何も発表しなかった。1763年、彼の“Essay towards Solving a Problem in the Doctrine of Chances” がプライス(Richard Price)によって陽の目を見た。この論文は数学的なものであるが、プライスはそれをヒュームの懐疑論への解答として紹介した。ヒュームの例を思い出してみよう。彼によれば「太陽は明日も昇る」は正当化できない。プライスはこの文をベルヌーイ試行と二項分布を使って考えた。私たちが経験する昼と夜は自然という壷からボールを取り出すようなもので、夜の次に昼がくれば赤のボール、夜が続くなら白のボールというように、赤と白のボールからなる二項分布と考えた。この分布でn回の試行のうち赤がk回観察できる確率はC(k, n)pkqn – kである。qは1- pである。pが1なら、太陽は明日も確実に昇り、pが0なら、太陽は明日昇らないことになる。ここでpは太陽が明日も昇る確率を表している。
 ベイズの議論の道具立ては現在と違っているので,結果だけを言うことにしよう。pの値の一様分布から出発して赤ばかり出る試行を続けると、確率分布はp=1のまわりに集中することを示している。さらに、この集中は極めて短期間に起こる。10回の試行で10回赤が出るのは、pが3/4と1の間にあるときは0.94である。プライスはこれがヒュームに対する答えであると考えた。最初に太陽が昇るの見て、それを10日も繰り返せば、既に太陽が明日も昇る確率は94%であり、実際私たちは10日以上太陽を見続けている。したがって、ある程度長く観察すれば、100%に収束することになる。
 残念ながら、ベイズとプライスの考えは発表当時大きな影響を与えることができなかった。それが復活するのは20世紀に入ってからであり、ラムジー(Frank Ramsey)、ド・フィネッティ(Bruno De Finnetti)によってベイズの考えが取り込まれ、統計学の一分野にまで成長することになる。そして、ヒュームの帰納的な懐疑へのベイズの対応も考え直されることになる。