別のタイプの知識の正当化:ポアンカレの場合

ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学
 ポアンカレ(Henri Poincaré)は、ユークリッド幾何学アプリオリに真であり、それを真にしているのは私たちであると考える。この点ではカントと同じである。しかし、私たちがどのようにユークリッド幾何学を真にしているかという説明は、カントとは全く異なっている。既述のように、非ユークリッド幾何学の発見は空間の真なる構造はアプリオリに知ることができるというカントの考えを脅かすことになった。ポアンカレ微分方程式で定義される関数を研究する際に、実際に非ユークリッド幾何学を使っていた。さらに、非ユークリッド幾何学の相対的な無矛盾性(ユークリッド幾何学が無矛盾なら、非ユークリッド幾何学も無矛盾であること)も知っていた。ポアンカレによれば、幾何学は世界について何の予測も行なわないので、経験の中には幾何学自体に矛盾するようなものはない。非ユークリッド幾何学ユークリッド幾何学と同じ論理的、数学的な合法性をもっている。すべての幾何学的システムは同等であり、どれか一つが真なる幾何学ということはない。幾何学の公理は総合的でアプリオリな判断でもなければ、分析的でアプリオリな判断でもない。それらは規約、約定(convention)であり、姿を変えた定義に過ぎない。
 ポアンカレによれば、すべての幾何学は空間のもつ同じ性質を扱うが、それぞれが独自の異なる言語を使っている。どの幾何学も異なる言語を使っているが、いずれも同じ実在についてのものである。というのも、一つの幾何学は別の幾何学に翻訳できるからである。複数の幾何学の中で特定の幾何学が選ばれる理由は、経済的な単純さである。通常私たちがユークリッド幾何学を日常世界で使う理由は正にこの経済的な単純さである。だが、時には非ユークリッド幾何学の方が単純な場合がある。アインシュタイン相対性理論はこのような場合の典型である。
[科学理論の規約性]
 ポアンカレ幾何学についての考えは科学理論にも適用できる。すべての科学理論は自らの言語をもち、規約によって選ばれている。一方、予測や事実に関する一致や不一致は規約的ではなく、実質的、客観的なものである。科学は客観的妥当性をもっていなければならない。科学者が自由に選ぶ言語、公理は規約で構わないが、その妥当性は客観的な観測によって判定される。科学法則は、したがって、二つの部分に分解される。一つは原理で、これは規約によって真であり、他は経験的法則であり、これは観測によって真が決まる。
 「天体はニュートンの重力の法則に従う」という法則は次の二つに分解できる。

1重力はニュートンの法則から出てくる。
2重力は天体に作用する唯一の力である。

1は原理であり、規約である。だから、それは重力の定義となる。2は経験的法則である。物理学とユークリッド幾何学を組み合わせることによって、そしてその場合だけ経験によってテストできる予測を行なうことができる。ユークリッド幾何学と物理学を組み合わせて行なった観測が矛盾をもたらす場合、私たちはいつも物理学を別のものに代え、ユークリッド幾何学は変更しないようにする。したがって、ユークリッド幾何学の正しさは人間の決定判断の規約的な問題である。これがポアンカレの規約主義(Conventionalism)である。どのように観測結果を解釈するかにはいつも選択の余地がある。そこで、私たちはいつも幾何学が正しいように選択する。それはなぜなのか。ポアンカレによれば、非ユークリッド幾何学を採用せずに物理学を変える方が私たちの信念の全システムをより単純に保つことができるからである。ポアンカレの規約主義はカントの数学的真理についての説明とは別の説明を与えてくれる。だが、カント、ポアンカレ両者にとって、数学は帰納的推論に基づいているのではなく、経験的に反駁される対象ではないのである。

(問)ポアンカレは数学と科学理論の規約性をそれぞれどのように考えたか。

アインシュタインの同時性]
 ポアンカレに影響を受けて、アインシュタインは二つの物理的出来事の間での同時性関係の決定の幾つかは規約的だと考えた。距離の離れたAとBの出来事が同時に起こったかどうかという問いが出されたとしてみよう。さらに、AとBはほとんど同時に起こるので、Aが起こったときに送られた光線はBが起こった後でしか到着できないし、Bが起こったときに送った光線もAが起こった後でしか到着しないとしよう。光は有限の速度をもち、どんなものも光より速く動けないというのが特殊相対性理論の原理の一つである。そして、これは今の例でも成立している。すると、私たちにはAとBが同時に起こったかどうか決定する経験的な術がないことになる。AとBが同時かどうかは規約の問題だというのがアインシュタインの答えである。では、どのような選択が規約として好ましいのか。より単純な規約がよいというのがポアンカレアインシュタインの答えである。
 アインシュタインの教え子であったライヘンバッハはこの規約主義の考えをさらに押し進めた。ライヘンバッハは、運動の基本法則が、それがニュートンのものであれ、アインシュタインのものであれ、正しいならば、それは規約によって正しいと考えた。つまり、ニュートンの運動法則、アインシュタインの運動法則、その他の法則のどれを使おうと、私たちが選ぶ運動法則を真で反証できないものにするのは私たちの規約や決定である。
カントにとって、ある概念が別の概念に含まれるゆえに真であるような判断が分析的真理であった。規約主義者にとっては、分析的真理は私たちが使う言語に含まれる規約、あるいは帰納的な実践のゆえに真である文を意味している。論理的真理は分析的である。同様に、幾何学、算術、物理学の一部、「すべての独身者は未婚である」のような日常的真理はみな分析的である。
 ところが、クワインは規約主義に反対する。彼の論証は二つの面をもっている。一つは、同時性や運動法則に関する幾何学や物理理論が変更を余儀なくされることは可能である。二つ目は、規約的な主張と科学の別の部分の間に論理的な違いはない、というものである。科学のある部分が経験的に変更を受け、他の部分が変更を受けないというようなことはない。というのも、クワインは科学を「全体論的に(holistic)」考えるからである。