心(2)への補足

 心や精神についての哲学的な説明となれば、何人かの哲学者の名前が挙げられ、彼らが心や精神について何を主張したかが解説されるというのが通り相場。それが物語風に語られるとついわかったつもりになるもので、哲学の紙芝居版と言ったところか。だから、心についてあれこれ論証し、デカルトが誤っていたなどというのはとんでもない話だと思われたのではないか。心は論証の対象どころか、自ら論証をつくるものだから、切っても切れない縁が心と論証の間にあることになる。
 ところで、ギリシャ哲学の特徴となれば合理主義。ギリシャの哲学者たちは議論を好み、論証を主な武器にした哲学を愛した。感情は感じることができ、表象はイメージすることができるが、思考の規則は見ることも感じることもできない。心のもつ機能として理性、感性が昔から言われ、ギリシャの哲学では人間の本性は理性にあるという合理主義が主役だった。これは中世ヨーロッパで復活し、現在に至るまでヨーロッパの思想の根幹にどっしりと構えている。反合理主義や非合理主義が幾度となく主張されても、それらは合理主義という正統への反逆であって、自ら正統になることは叶わなかった。
 論証、証明は合理主義の主要な武器だが、論証や証明を支えているのは論理規則である。論理規則は文法規則に似て、見えない。そのために、見えるようにする努力が続いてきた。推論規則を見えるようにする努力は19世紀末まで実らなかったが、その先鞭をつけたのはアリストテレス。彼の論理学は推論の代数的な規則を枚挙しただけだったが、論理の規則を三段論法として見えるようにした点では画期的だった。
 論理の規則は単純だが、それら規則を巧みに組み合わせて使い、単純ではない結果を生み出すことができる。そして、どんな事柄にも同じように使えるという普遍性をもっている。一方、複雑な感情は再現性がなく、したがって、蓄積もできない。これは極めて重要な点である。感情は積み重ねることができない。私の感情とあなたの感情は別物で混ぜ合わすことはできない。論理規則は単純だからこそ容易に組み合わせができ、その結果、信じられないほどの結果をもたらすことができる。だが、感情は個人的、単発的で、非協力的なのである。
 かつては理性的、合理的な思考が人間の本性だと考えられていたが、その本性の仕組みは上述の論理規則の集まりと組み合わせにあり、意外と簡単であることがわかった。その結果がコンピューターであり、私たちの思考はコンピューターによって再現可能となった。皮肉なことに、人間が他の動物より優れていると思われていた合理的思考の仕組みは実は脳の他の機能よりずっと簡単だったのである。