心(3)への補足

 行動主義心理学から認知心理学へのパラダイムシフトと称されるような変化を体験したのは私が教師になってしばらくしてからのことで、学生の頃は行動主義が花盛りで、スキナーの講演を大学時代に二度ほど聞いた憶えがある。佐藤方哉先生が行動主義心理学に入れ込んでいて恩師のスキナー先生を何度も招いていた。佐藤先生は父親佐藤春夫そっくりな容貌だったが、文学と違って科学的心理学を目指し、その対比が際立っていた。私が最初にアメリカに行った時、ハーバードではまだスキナー大先生が時々キャンパスに来ていて、ケンブリッジの街ではチョムスキーが毎晩のように政治討論を繰り広げていた。そのチョムスキーが手厳しく批判したのが行動主義心理学だった。スキナーとチョムスキーは、行動主義心理学認知心理学の対立を象徴するような二大巨頭だった。
 さて、ここでの問題は行動主義心理学認知心理学パラダイムシフトだったのかということである。そうではないというのが私の答えである。何故そうではないか見てみよう。
 S-R(刺激-反応)図式を基本にする行動主義心理学は、刺激と反応といういずれも測定可能な事柄を使ってモデルを作る。刺激から反応までの間は媒介変数によって処理され、どのように刺激が処理されるかは観察できないゆえに数学的に処理された。
 古典力学から相対性理論量子力学へというようなパラダイムシフトと並んで、行動主義心理学から認知心理学へのシフトが語られ、議論される場合があった。だが、古典力学量子力学が両立しないのとは違って、博物学から生物学へ、マクロな生物学から分子生物学への移行に似て、二つの心理学は両立し、足りない部分を補完する形になっているのである。だから、チョムスキーの批判は行動主義心理学の足りない部分についての批判であって、両立可能性についての批判ではない。
 心的な内容や内観について触れないという行動主義心理学の主張は、実験できない、観察できない、見えないから科学の対象とならないということであるが、これはやはり暴言だった。すべての物理量が見える訳ではなく、統計量など直接の観察は不可能である。例えば、エントロピーはそのような統計量の一つであり、情報量と結びついている。これを最初に結びつけたのがシャノンだった。行動主義心理学には登場しなかった情報や情報量に関する事柄は認知心理学では不可欠な主要概念として登場する。そして、行動主義心理学に情報処理の諸理論を加えると認知心理学の骨組みができ上がるのである。つまり、二つの心理学は互いに補完し合う関係になっていることがわかる。