心(4)

機能主義 (Functionalism)
[タイプとトークンの違い]
 機能主義の特徴の一つはタイプ-トークン(type - token)の区別にある。個々の物理的な対象がトークンであり、性質(種、kinds)はタイプである。あるいは、概念とそれを実現する具体的な対象がそれぞれタイプとトークンである。眼で見え、手に取れるものがトークン、一般名詞の指示対象がタイプと言えば、わかり易いだろう。
 ある物理的な対象は多くのタイプのトークンである。例えば、私のパソコン(トークン)はさまざまな性質(タイプ)をもっている。タイプはいくつかのトークンによって実現される場合があるかと思えば、どんなトークンによっても実現されない場合もある。例えば、人間という性質は各個人がそのトークンとなるが、「ユニコーン」というタイプはトークンを一つももっていない。
 さて、(心と脳の)同一説は心理的トークン、心理的なタイプ両方について同一だと主張する理論であるが、機能主義は同一説が心理的なタイプについて主張することを否定する。つまり、心理的トークンは物理的なトークンであるが、心理的な性質(タイプ)は物理的な性質(タイプ)ではないと主張する。機能主義は心理的性質が物理的なものに付随し(supervene)、心理的性質は複数の物理的なトークンによって実現できる(multiply realizable)と考える(付随性(supervenience)と多重実現可能性(multiple realizability))。これは、心的な性質が生み出されるのに多くの異なる物理的な方法があることを意味している。したがって、心的な性質は物理的な性質ではない。しかし、心的なトークンは物理的なトークンである。これが機能主義の基本的立場である。
 心理的性質が特定の物理的なトークンではないとすると、どのような性質なのか。「心理的な性質は機能的な性質である」というのが機能主義の主張であり、それが機能主義という名前の所以である。では、「機能的な性質」とはどのような性質なのか。次の例で考えてみよう。

 ある人が横にあるのが酒であると信じ、その人がXの状態にあるなら、その人はそれを飲む。

この文は条件文で、特定の信念と状態が満たされれば、その人が何をするかを述べている。状態Xは恐らく、酒を飲みたいという欲求をもった状態であろう。機能主義はこの条件文が特定の欲求をもつとはどのようなことかを記述していると考える。適切な因果的役割を演じる状態であればどのようなものでも、それが酒を飲みたいという欲求である。つまり、上の文を真にするどのようなXについても、Xは酒を飲みたいという欲求である。その状態の物理的な構成は問題ではない。心的な状態は行動や他の心的状態に対する因果的な関係によって理解されることになる。
[機能主義の幾つかの主張]
 機能主義にも様々ある。次の二つがその初期の代表的主張である。

1マシン機能主義(Machine table functionalism)
 パトナムがチューリング・マシン(Turing machine)に興味をもったのは、その操作を支配するプログラムの機械そのものに対してもつ関係が、心の脳に対してもつ関係と同じ関係をもっているように見えたからである。 チューリング・マシンを、心と身体の二元論のように二元論で考える必要はどこにもない。また、万能チューリングマシン(universal Turing machine)は機能上心と同じ働きをする。マシン操作表によれば、痛みは他の状態を因果的に引き起こすシステムの状態と同じと見なされる。このパトナムの機能主義が最初の機能主義である。
2 計算的、あるいはAI機能主義(Computational or AI functionalism)
 心的な状態はシステムの内的な計算の状態と同じである。計算の状態は遂行される演算の種類によって定義される。心の状態はある特定のマシンと同じというのではなく、様々なマシンで遂行される演算と同じである。デネットは、心が意味論的機関を真似る統語論的機関であると考えている。このように心を捉えることから「強いAI」という考えが出てくる。コンピュータと心はその振舞いをするのに同じ手続きを実行しており、その手続きは心的過程そのものである。計算主義的な見解では、認知とは記号を処理する活動である。

チューリング・マシン
 チューリング・マシンはチューリングAlan M. Turing)が「アルゴリズム」の定義を数学的に正確にしようとして考え出した仮想のコンピューターである。読んだり書いたりするヘッドが無限の長さのテープをスキャンする。テープは0か1が書かれた桝目からなっている。計算はテープのある状態をスキャンすることから始る。そこで読んだものを消し、0か1を書き込み、隣りの桝目へ移動し、新しい状態になる。マシンのこの行動は三つのパラメータによって完全に決定される。それらは、(1)マシンのいる状態、(2)マシンが見ている桝目の数字、(3)指令表、である。指令表は各状態と0か1の入力に対して、マシンが何を書き込み、いずれの方向に動き、どの状態になるべきかを定めている。例えば、状態3で0を見るなら、1を書き込み、左に動き、状態4になる、といった指令である。指令表は有限の状態を列挙するが、それらは指令表で演じる役割によって定義されている。これら状態がマシンの機能的な状態と言われるものである。
上の説明から、チューリング・マシンはコンピューターというより、コンピュータープログラムに近い。チューリング・マシンは無限の長さのテープをもつので、現実のどのようなコンピュータによっても具体化できないが、それらを無限個組合わせれば可能である。無限の計算時間とテープが与えられているという前提のもとに、チューリング・マシンは実際に私たちが計算できるどのような関数も計算することができる。

[「機能」と「情報」]
 機能主義の「機能」は情報と同じようなわかりにくさをもっている。機能、情報の概念は社会科学では必須のものでありながら、自然科学で明瞭に定義されているわけではない。生物学は自然科学と社会科学の中間に位置し、そのため、機能や情報を重要な概念として使っている。分子生物学の文献を見れば、そこには情報やそれに関連する比喩的表現が溢れている。実際、情報概念なしには分子生物学は何も表現できない。だが、物理学的に機能や情報を表現できるかというと、残念ながら十分な特徴づけはできていない。この理由の一つは機能や情報のもつ付随性や多重実現可能性という性質に由来している。したがって、自然化の試みは言語、思考、感覚といったものより、まずは機能や情報を自然化することが先である。
 ここまでの話をまとめておこう。少し欲張って、まだ述べていないデカルトの心に関する別の見方も一緒にしてまとめておく。

デカルトは心がものとは異なり、「心の所有者にだけ特権的に理解される」とみなした。今世紀の心に関する見方の多くはこのデカルトの見方に反対する。心はものと原理的に異なる実体ではなく、「外から眺めることによって理解できる」というのが心についてのその見方である。

この要約の「」の部分はまだ述べてない部分である。「」の部分がデカルトと反デカルトの心に対する見方の違いを浮き彫りにしている。