心(4)への補足

(理性は単純なのか、それとも複雑なのか)
 機能主義の背後にある肝心な点を補足しよう。チューリング・マシーンについて述べたが、一般的にコンピューターの計算の仕組みはとても単純である。なぜなら、人間の計算の仕方が単純だから、コンピューターの計算も単純なのである。四則演算はどれも単純なため、小学生でも簡単にマスターできる。そんな単純な演算から成り立つコンピューターは信じることができないほどの複雑な計算を間違うことなくやってのける。
 アリストテレスが「人間は理性的動物である」と述べて以来、理性的に考え、行動できるのは人間にだけできる崇高な性質だと考えられ、それが他の心的能力の中でトップの地位を保ってきた。しかし、20世紀に入り、計算と思考(computation and thought)が実は同じものだということがわかり、しかもその計算が算術の四則演算で十分だということから、思考は単純な仕組みだということがはっきりした。こうして、それまで思考のルールだった論理は、計算のルールでもあることになった。
 人間が計算できる関数はすべてコンピューターにも計算可能であり、思考の中核をなす推論は計算であり、それゆえ、コンピューターにも推論ができ、「理性的」とは単純な仕組みのもつ性質だということになった。実際、心のもつ機能の中で最も早くその仕組みがわかったのは理性と呼ばれてきた部分であり、それはコンピューターの計算モデルで説明できたのである。
 こうして得られる結論となれば「理性は古来人間の崇高な能力と崇められてきたが、実は心の機能の中で最も単純な能力に過ぎない」ということである。つまり、「理性の正体見たり算術か」と詠んだとすれば、それは正しいことが証明されたのである。
 ここまでの話はこれまで何度も述べられてきたことであり、特段目新しいものではない。しかし、その内容は真であり、私たちの理性は確かに単純なルールの組み合わせによって働いている。では、計算の仕組みが単純であるから、計算結果も単純なのだろうか。この問いについての答えが今日の補足である。
 仕組みが単純なことと、それを使って何ができるかということはまるで別のことである。仕組みが単純であればこそ、汎用的に極めて複雑な結果を作り出すことができるのである。算術の単純計算を巧みに積み重ねることによって、高度に複雑な微分方程式を解くことができ、そのことによってビルや橋を設計し、それらを造ることができる。その同じ仕組みを同じ手法で応用し、ビルや橋だけでなく、自動車や船も設計し、造ることができる。
 思考より感覚や感情の方がずっと複雑だと誰もが認めるが、そのためか、それら感覚や感情を単純な要素に分解できず、単純な要素から同じ感情を同じように作り出すことができない。そのため、感覚や感情をコントロールすることができない。
 もう一つ例を挙げて考えてみよう。それは文学と数学。作家が描く作品が私たちを惹きつけ、強い感銘を与えることができる。言葉を操る才能によって、他の人には作り出せない独特の世界を作家は生み出すことができる。作家が操る言葉は誰にも共通のものだが、誰もが同じ感銘を与える作品を生み出せるわけではない。一方、数学の基本対象である数と演算、図形と変換などは誰でも同じように理解でき、計算し作図できる。だが、数学理論をつくるのは誰にでもできるものではない。新しい理論は新しいルールからなるのではなく、他の理論と同じルールからなっている。成程、両者はよく似ている。しかし、文学作品の素晴らしさを説明し、作品を分解し、誰にもつくれる処方箋を与えることはできないが、新しい数学理論は誰にでも学ぶことができる。
 単純なルールからなる理論と複雑な心的機能の違いは、同じものを作ることとコピーすることの違いでもある。理論から同じものを何度も作り出せることは、理論からどれだけ複雑な結果でも生み出せることと対応している。これらは、単純なルールからなる理論が如何に強力かを示す二つの側面を示している。
 最初から複雑なもの、複雑なままで単純なものに分解できないもの、それらは組み合わせる、結びつける、総合するといった操作ができず、そのためもっと複雑にすることができないのである。だから、感情などは未だにその仕組みが不明で、私たちがうまく扱うことができないのである。
 ここで理性の使い道を考えれば、機能主義や計算主義を基本において、理性だけでなく感性の様々な分野にも計算ルールを導入して試行錯誤的に感性の計算モデルを作り、試してみることが考えられる。理性での成功を参考にして、それを真似てみることである。それが感情や意思の計算モデルということになるが、まだ成功していない。

 理性は単純な要素に分解でき、その要素を計算するという仕方で組み合わせることができ、その結果、複雑な仕事をすることができる。単純な要素からなるという点で理性は単純であり、要素の計算には無限の組み合わせが可能であるという点で理性は複雑である。