粋(いき、すい)

 「いき」と「すい」はどこが同じで、どこが違うのかなどという疑問はまるで粋ではないとお叱りを受けそうだが、哲学は野暮な疑問を隠し切れないのである。
 「いき」は「意気」と書いたのだが、次第に様々な意味を持つようになり、心だけでなく衣装風俗にも使われるようになる。江戸後期になると主に女性に、特に深川の辰巳芸者に使われるようになった。辰巳芸者は冬でも裸足に下駄、男まさりで羽織をまとい、そのきっぷのよさが「いき」の代表とされた。また、質素倹約のおふれが出ていた江戸では、縦縞や格子などの地味な柄、また地味ながらも技がきいた小紋などが好まれた。「四十八茶百鼠」と呼ばれる茶色や鼠色などの多様な色合いを使いこなすことが「いき」とされた。
 上方の「すい」が恋愛や装飾などで突き詰めた末に結晶される文化様式(結果としての心中や絢爛豪華な振袖の着物など)、文字通り純粋の「粋(すい)」であるのに対し、江戸の「いき」は突き放さず突き詰めず、常に距離を近くにとることによって生まれると言われる。「いき」は大人で、落ち着いた風情だが、「いなせ」は若者で、威勢がいい。刺身なら、とれたて切りたては「いなせ」で、「いき」は昆布でしめたもの。同じ「粋」と書いても、関西では「すい」、関東では「いき」。江戸の「いき」は吐く息に通じ、不要なものは吐き出し、ため込まない。だから、江戸の美は引き算の美。それに対して、上方の「すい」は吸う息に通じ、何でも取り入れ、蓄積していく足し算の美。
 ところで、「いき」と「すい」の内容に大差はないという説もある。たとえば、『「いき」の構造』において九鬼周造は、「いき」と「すい」は同一の意味内容を持つと論じている。その九鬼周造の父は九鬼水軍の流れをくむ九鬼隆一。近代日本の最初の文部官僚で、最初の駐米特命全権公使だった。彼はフェノロサ岡倉天心東京美術学校の開設を助けた。母は祇園出身の星崎初子(はつ、波津)。アメリカ滞在中にその初子が身ごもったので、隆一は同行していた若い天心に付き添わせて、帰国させた。だが、横浜までの船旅はあまりに長く、二人は男女の仲になり、これがスキャンダルとして発覚し、天心はつくったばかりの東京美術学校の校長の座を追われ、それが大観、春草らと日本美術院を創設にすることにつながるのである。
 この事件によって九鬼夫婦は別居する。そのスキャンダルの渦中で生まれた周造は、幼年期を天心に「父」を感じて育つことになる。母の初子はやがて発狂、精神病院に入る。

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岡倉天心

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九鬼周造

 さて、天心と初子の行動は粋だったのだろうか?九鬼周造がヨーロッパ哲学を使って粋を分析したのは果たして粋な分析だったのだろうか?粋は言説、思想によってわかるものではなく、風俗や文化によって楽しむものだというのが江戸っ子の粋な答えだと思われるが…