月光仮面からプラトンまで

 月光仮面は私が子供の頃のテレビ番組のヒーロー。学校の行き帰りにはよく主題歌を口ずさんだものだが、その一番の歌詞は次のようなものである。

どこの誰かは 知らないけれど 
誰もがみんな 知っている
月光仮面の おじさんは
正義の味方よ 善い人よ
疾風のように 現われて
疾風のように 去って行く
月光仮面は 誰でしょう
月光仮面は 誰でしょう

 この歌詞をよくよく吟味してみると、とても哲学的で、なかなか刺激的なのである。まず、「どこの誰かは 知らないけれど 誰もがみんな 知っている」に登場する二つの「知る」は異なる「知る」で、見事に使い分けられている。
 次は、「正義の味方よ 善い人よ」である。正義と善の関係が見事に出ている。正義なら善であることを歌っているように思われる。「では、善なら正義なのか」と鸚鵡返しのように問うことは野暮ではあっても、それが倫理学の通常の議論というもの。その解答の追求は倫理学者に任せておこう。暇にまかせて解答の種類やそれらの関係を丁寧に説明してくれるだろうが、これだという解答はきっと聞かれないだろう。
 そこで、「知る」の二つの使い方なのだが、これも認識論という領域での典型的な問いで、その道の専門家が真剣に考えてくれる筈だから、ここでは常套でない仕方で考えてみよう。
 私たちが会ったことのない人、例えば安倍晋三吉永小百合を思い浮かべ、「安倍や吉永を知っている」と言ったときの「知る」は、「誰もがみんな 知っている」の「知る」である。これは「知ったかぶりの知る」と呼んでもいいだろう。一度も実際に会っていないのに平気で知っているというのは知ったかぶりに過ぎない。二人と親しい人が「安倍さんや吉永さんを知っている」と言えば、それは知ったかぶりではない。
 「吉永小百合がどこに住んでいて、誰と暮らしているか」は知らないが、誰もが吉永小百合は映画やテレビで見て知っている。それが「どこの誰かは 知らないけれど」の「知る」である。こちらは知ったかぶりではなく、文字通り知らないのである。
 さらに、「月光仮面は 誰でしょう」が最後に繰り返されるが、「誰でしょう」は月光仮面が誰かを尋ねている。上の二つの「知る」のいずれに関わっているかと言えば、「どこの誰かは知らないけれど」の「誰」と同じだから、知ったかぶりでない「知る」に関わっているのである。蛇足ながら、「誰もがみんな 知っている」の「誰」はみんなと同義で問いの「誰」ではない。
 こんな風に見てくると月光仮面の主題歌は実に哲学的な歌詞なのである。そこで、今少し「知る」の不思議な振舞いを見てみよう。それは「メノンのパラドクス」と呼ばれてきたものである。ソクラテスは誤った定義をどのように排除するかは語ったが、どのように正しい定義に到達するかは語らなかった。メノンのパラドクスはこれを鮮明にしたものである。

1 あなたが探しているものを知っているなら、探すことは必要ない。
2 あなたが探しているものを知らないなら、探すことはできない。
3 それゆえ、探すことは必要ないか、できないかである。

このパラドクスの前提は、あなたが探しているものを知っているか、あるいはあなたが探しているものを知らないかである。(どうしてか。)そして、この推論が妥当であるためには「あなたが探しているものを知っている」が1と2で同じように使われていなければならない。そこで、次の二つの文を考えてみよう。

A あなたは答えたい質問を知っている。
B あなたはその質問の答えを知っている。

 Aの意味では、2は真であるが、1は偽である。Bの意味では、1が真で、2は偽である。だから、1と2が両方とも真であるようなことはない。Bの意味での1とAの意味での2からは何の結論も出てこない。
(想起説)
 ある意味で探し求めることは不可能だとしてみよう。何か新しいことを学習するように見えるのは、実際は既に知っていることを想起しているに過ぎない。これが想起説である。これに対し、想起は経験的な場合にはあり得ないのではないかという疑問がすぐに浮かぶ。「今隣の家で誰が食事をしているか」、「この樹は何枚葉をもっているか」は想起することによって答えられるのか。経験的な事柄に関しては、確かに以前知らなかった、新しいことを初めて知ることができるが、経験的でないものについてはどうか。ここには経験的な標準的方法はない。「正義とは何か」という問いはこのような典型である。プラトンの理論はこのような問いに対する答えを私たちは精神の中に既にもっていると主張する。答えを見出すことは精神から取り出すことである。では、この想起説をプラトンは一体どのように証明するのか。解答を見つける長い旅がここから始まり、未だに正解は見つかっていない。
 月光仮面からプラトンへと話は飛んだが、「知る」ことが人間特有の能力であり、それが人間の歴史をつくってきたことを考えるなら、主題歌の歌詞も奥が深いのである。

追記
 ここでは歌詞の哲学的な側面だけを考えましたが、それ以上に文学的側面も見事で、平易な語彙の意味と音を巧みに組み合わせ、操った歌詞になっています。まさに言葉の職人のなせる技で、脱帽です。この歌詞の作者は、「月光仮面」の原作者にして脚本も手掛けた川内康範で、さすがとしか言いようがありません。川内となれば、おふくろさん騒動を想い出します。