トチノキ、あるいはマロニエ

 トチノキは山村を連想させるが、セイヨウトチノキの別名はマロニエ。パリのシャンゼリゼ通りの並木はそのマロニエである。私がマロニエから連想するのはサルトルの小説『嘔吐』。主人公は旅行家兼歴史研究者のロカンタン。ある日、ロカンタンは自分の中で起こっている異変に気づく。海岸で拾った小石や、カフェの給仕のサスペンダーを見て吐き気がしたり、ついには自分の手を見ても吐き気がするようになる。そして、公園のベンチに座って目の前のマロニエの根を見た時、激しい吐き気に襲われ、それが「ものがそこにあるということ」が起こすものだと気づく。この「実存に対する反応」によって彼の意識は朦朧としていく。この「吐き気」はゲシュタルト崩壊で、それがロカンタンの身に起こり、彼の日常生活は崩壊したのだ。 サルトルの「実存は本質に先立つ」という有名な言葉は、当時熱狂的な支持を集めた。
*『嘔吐』の該当箇所の一文:La racine du marronnier s’enfonçait dans la terre, juste audessous de mon banc. (マロニエの根は、ちょうど私の腰掛けていたベンチの真下の大地に、深くつき刺さっていた。)

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 私が偶然に『嘔吐』を手にしたのは故郷の本屋で、それが私のサルトルとの最初の出会いだった。『嘔吐』は後で私が入学した文学部の仏文学専攻の白井浩司先生の訳で、塾長だった佐藤朔先生も実存主義文学を紹介、翻訳しておられ、来日したサルトルの講演を三田の大教室で懐かしい心持ちで聞いたのを憶えている。私の関心は既に実存哲学にはなかったのである。
 サルトルを知り、実存主義を知り、戦争体験のないことを実感し、…、結局、マロニエがどんな木かを見過ごしてきたことを知ったのはいつだったのか。今の私はマロニエの根を見ても吐き気などせず、実存も本質も調和している。

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