一重と八重についての雑感

 「一か八か」は、「結果がわからないままに、運を天に任せて勝負すること」という意味の慣用句。「一」と「八」がそれぞれ何を意味し、なぜ一と八なのかについては、幾つもの説がありますが、いずれも賭博から生まれた言葉のようです。一つは、賭博の「丁か半か」の「丁」、「半」という字のそれぞれ上部をとったものであるという説です。もう一つは、「一か罰か」、すなわち「賽の目で一が出るかしくじるか」によるという説です。語源の特定はなかなか難しく、いずれが正しいかの特定は困難です。
 では、英語では、一重咲きと八重咲き、それぞれ何と言うでしょうか。英語では、一重咲きを「シングル(single)」、八重咲きを「ダブル(double)」と言います。シングルは納得できても、八重咲きがダブルでは計算が合いません。日本では、数字の「八」は、形が末広がりなことから、古来縁起のいい数字、幸運をもたらす数字とされてきました。また、数が多いことをあらわす際に、「八」を用いる例がたくさんあります。「八重咲き」、「八重桜」だけでなく、「八百万の神」、「嘘八百」、「七転び八起き」、「七重の膝を八重に折る」等々。
 さて、本題に戻り、既にヤマブキ、クチナシの一重、八重について述べました。庭木としてよく栽培されているクチナシには、一重のものと八重咲きのものがあります。ドクダミにさえ八重咲きのものがありますから、珍しいことではないのですが、二つは一体何が違うのでしょうか。その話もABCモデルに絡んで一部述べました。
 八重咲きとは、花びらの内側のおしべやめしべが並んでいる場所に、さらに多くの花びらが並んで、花びらだけで花ができ上っているように見えるもののことです。普通は、野生の植物にはおしべとめしべがあるのが当然で、八重咲きのような花は突然変異によるものです。八重咲きの内側の花びらは、おしべやめしべに対応し、それらが花弁化したのが八重咲きです。花弁はもともとおしべやめしべを囲む葉に由来するので、おしべやめしべもそれぞれ小胞子葉、大胞子葉ですから、やはり葉が起源です。いずれも葉に由来しますから、それらがすべて花弁化することはさほど不思議ではありません。でも、八重咲きの花ではおしべやめしべが正常につくられないので、種子や果実は作られない場合が多く、繁殖は株分けなどで行われます。やはり、自然に摂理が存在し、「正常」や「異常」という概念が科学的に認められるのであれば、八重咲きの花は異常と言うことになります。
 バラの花は、一般には八重咲きが普通のように考えられますが、野生種は五弁の花びらだけを持つものです。ウメには八重咲きであっても、おしべもめしべも正常な花があります。これは、花弁が余分に形成されたものと考えられます。ランの場合、いわゆる洋ランには八重咲きはほとんどありません。他方、東洋ランでは、変わりものが重視される傾向があり、いくつもの八重咲きが知られています。
 一重の椿は、花が潔く一挙に落ちますが、八重の椿はなぜか枯れても落ちず、樹上で醜い姿を晒しています。一重の桜は大好きでも、八重桜は嫌いという人が結構います。でも、薔薇の花を想像するよう言われたら、一重の薔薇をあえて想像する人は僅かでしょう。このような美的な評価が一重や八重の花になされ、生物学的以外の基準が複雑に入り込み、様々な評価・判定がなされてきました。一重と八重は生物と文化、事実と嗜好が入り混じって、人と花の生活世界をつくり上げている重要な事柄の一つになっているのです。

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