問題を解くための推論:推論のタイプと推論の誤り

 生活する世界で生じる問題を解くにはどのようにすればよいか。問題を理解し、正しい知識を使って答を得るというのが一般的な方法だが、その際、人間の立った特徴は知識を使っての推論にある。問題の解決には実験・観察からだけではなく、推論が有効に使われる。問題を考える、解くとは推論することであり、したがって、推論は問題を解決するための必須の道具である。そこで、問題解決の方法としての推論とはどのようなものかを考えてみよう。
[推論の三つのタイプ]
 前提から結論を論理的に導き出すことが推論であるが、推理小説での賢い探偵や刑事の頭の働きを想像すれば、それがどのようなものか察することができる。あるいは、中学校で図形に関する定理の証明をした際の経験を思い出してもよい。私たちが他の動物と異なるのは、このような推理・推論をする合理的な思考にあると言われてきた。「人間は理性的な動物である」と言ったのはアリストテレス(Aristotle, 384BC-322BC)であり、彼は合理的な推理・推論を学問する際の主要な方法・装置と考えた。私たちもこの合理的な思考の中枢を担う推論から話を始めよう。
推論は論理的な規則に従って行われる。そこで、まず論理に関して考えてみよう。昔から論理には三つのタイプ、形式が考えられてきた。演繹(deduction)、帰納(induction)、そしてアブダクション(abduction)である。一定の前提から結論を規則に従って導き出す演繹論理は合理的な思考の中核となっている。一方、多くのカラスが黒い色をしていることから,「カラスはみな黒い」という文が正しいことを導き出すのが帰納的な推論である。しかし、限られた数のカラスに関する情報から、カラス全体について何かを結論することには飛躍がある。このような飛躍のない演繹論理では推論の規則の組がどのようなものかがはっきりしており,したがって、機械にもその規則の組を使って推論させることができる。だが、帰納の飛躍を埋める帰納的な論理の規則は知られていない。そのため、現在の私たちは確率や統計を使って帰納的な推論を考えている。アブダクションは与えられた結果を説明するための仮説をつくり出すことで、発見の論理とも呼ばれてきた。ある結果を説明するもっともらしい仮説を思いつくことは帰納的な一般化以上に飛躍がある。アブダクションは現在では「最善の説明をするための仮説」の設定と考えられているが、その大きな飛躍のために帰納的な推論以上に内的な仕組みはわかっていない。
[演繹論理の歴史]
 唯一よくわかっている演繹論理はアリストテレスにまで遡る。彼は演繹論理を三段論法中心に最初に組織化した人であり、驚くべきことに19世紀まで彼の論理システムは多くの人にそのまま受け入れられてきた。しかし、極めて単純な推論にしか適用できないことから、実際の役に立たない「形式論理」と見做されてきた。三段論法では二つの名詞A、Bだけを含む文、例えば、「すべてのAはBである」と「あるAはBである」、そしてそれらの否定形だけが前提と結論として許される。そして、例えば、「すべてのAはBでない」と「あるAはCである」という二つの前提から、一つの「あるCはBでない」が正しい結論として導き出される。だが、関係を表す二つの前提「すべてのAはBより大きい」、「すべてのBはCより大きい」から、「すべてのAはCより大きい」という結論を導き出すことは明らかに正しいが、アリストテレスの三段論法ではその正しさが証明できなくなる。
 このような閉塞的な事態は19世紀中葉のブール(George Boole, 1815-1864)、そして後半のフレーゲ(Gottlob Frege, 1848-1925)によって一新される。演繹論理の正しさと適用範囲の拡張が同時になされ、現在の論理学が成立することになる。アリストテレスのシステムでは証明できなかった推論も簡単に証明できるようになり、私たちの推論をすべてカバーできる形式的なシステムが完成した。
 この論理学の革新は、論理的な規則の集まりを抽象的なシステムとして記号言語を使って明解に表現した点にある。日常言語はその豊かな表現能力のためにしばしば論理的な明晰さを犠牲にするし、文の表現は文法の規則に従わなければならない。この二つの点を克服するには日常言語から一旦離れ、明晰さと論理規則が直裁に反映される記号言語を使うことである。この記号言語は全くの新規のものというより、既に使われていた数学での記法を生かし,それを普遍化したものである。こうして、フレーゲによって再構築された論理のシステムは数学、哲学、科学の研究の表現装置、つまり言語として使われ、また言語学やコンピュータ・サイエンスに応用され、20世紀の科学の一特徴である記号を駆使した対象の把握を可能にしてくれた。特に、20世紀の哲学、数学の特徴はこの論理学の結果によるところが大きい。言語論的転回、集合論による抽象数学はこのような特徴を示す動向、成果である。
[新しい論理学の新しさ]
 記号言語を使うと明晰になる例を一つ挙げてみよう。「どんな人にも好きな人がいる」と「どんな人にも好かれる人がいる」の違いを聞かれたら、どのように答えるだろうか。違いははっきりしていても、その違いを説明するよう求められると、うまく言えない人が多いのではないか。では、日常使われる自然言語で正確に表現することが厄介な違いを記号言語に翻訳しながら、違いの本体に迫ってみよう。まず、この二つの文をそれぞれくどい仕方で言い直してみると、

「すべての人xについて、その人xには好きな人yが少なくとも一人はいる」
「ある人yが少なくとも一人いて、その人yはすべての人xに好かれる」

となる。この言い直しだけで相当はっきり二つの文の違いが出てくるが、さらに、それぞれを記号化してみると、

∀x(F(x)→∃y(F(y)∧G(x, y))
∃y(F(y)∧∀x(F(x)→G(x, y))

となり、簡略化すると、∀x∃yG(x, y)、∃y∀xG(x, y)となる。今はどのように記号化するかは無視しておいて、記号化された二つの記号列を視覚的に見比べてほしい。∀x∃yと∃y∀xの記号の並び方の違いが浮かび上がり、それが二つの文のもつ内容の違いを反映してらしいことがわかるだろう。実際、内容の違いが記号列の違いとして表現されているのである。これが日常言語の表現では見えにくい論理関係が記号言語を使って明瞭になる一例である。(上の論理式が何を表現しているかは無視して、ここでは記号の並び方にだけ注目しておこう。)

(問)「どんな自然数にもそれより大きい自然数がある」と「一番大きい自然数がある」の違いを上述の説明に倣って説明しなさい。また、「彼はクラスの誰より背が高い」と「彼はクラスで一番背が高い」について、二つの文は違ったことを述べているかどうか説明しなさい。

記号言語を使って曖昧であった哲学や科学の問題を正しく把握できると、正しい答への距離が大いに近くなる。また、問題だと思っていたものが実は擬似問題であることがわかり、問題が解消する。さらには積極的に問題を攻撃する手段として使う。このように論理学の知識を使って様々な成果が上がってきた。それらを理解することも重要であるが、ここではその根幹にある正しい推論の重要性を認識してほしい。私たちの周りには一見正しそうな推論や推量が溢れている。合理的な精神はそのような見かけの姿の背後にあるものを鋭く見極めるためにある。実際に目にする誤謬の大半は純粋に論理的な誤謬ではなく、私たちの認識や経験と論理がもつれ合った、複雑な誤謬である。論理だけの誤りは意外に簡単に見極めがつくが、それが経験的な認識と結びついた場合、私たちの合理的な追求はその内容に気をとられ、誤謬を見逃し易い。認識や経験的内容と絡み合った例として「デカルトの推論」と「総計の誤謬」を考えてみよう。
[例:デカルトの推論]
 次の二つの推論についてそれらが正しいかどうか考えてみよう。

デカルトは心をもっている。
デカルトのロボットは心をもっていない。
それゆえ、デカルトデカルトのロボットは同じではない。

デカルトは自分が心をもつことを疑うことができない。
デカルトは自分が脳をもつことを疑うことができる。
それゆえ、心と脳は同じではない。

最初の推論は文句なく正しいのだが、二番目の推論は正しいだろうか。それが正しくないことは次の類似の推論からわかる。

デカルトは2 + 2 = 4を疑うことができない。
デカルトは6-2 = 4を疑うことができる。
それゆえ、2 + 2は6-2と同じではない。

明らかに2+2は6-2と同じであるから、この推論の結論は誤っている。では、誤りの原因は何か。最初の推論の前提は事実に関するものであるが、後の二つの推論の前提は事実についての心的な態度(つまり、疑うこと)からなっており、疑うことから事実に関する結論を出してしまった点にある。一般化すれば、信念や疑念から事実は導出できないのである。
[例:総計の誤謬]
 次の例は、シンプソンのパラドクスと呼ばれている統計的な誤謬である。カリフォルニア大学で行なわれた入学試験で男女差別の疑いがもたれた。男女同数の受験者に対して、合格者全体を比べると男のほうが女より多かった。これは男女差別ではないかという疑いがかかり、裁判沙汰に及んだ。大学当局が学部ごとに調べ直してみると、二つの学部はいずれも男女の合格者数に関して全く公平であることがわかった。(下の表はこれをわかりやすくしたもので、実際の学部や学生数ではない。)

       学部1       学部2       総計
応募者  90女;10男    10女;90男       100女;100男
合格率    30%       60%
合格者  27女;3男    6女;54男      33女;57男

この表は簡単な数に直してあるが、総計を見ていただきたい。確かに男女の応募者数は同数でありながら、合格者数には差がある。しかし、学部ごとの応募者と合格者はどうであろうか。学部1も学部2も共に応募者の男女比に合った合格者を出している。つまり、各学部は男女差別を配慮した上で合格者を出したのであるが、応募者数の違いのために総計ではあたかも男女差別があったかのような結果になったのである。総計は各部分の性質を正しく反映してくれない。このような誤謬の原因は論理的なものではなく、統計の初歩の認識にある。しかし、それを適切に指摘し、正しい姿を浮き彫りにするシナリオは論理的な構成なしにはできない。論理的な規則は道具であり、その道具は正しく使ってこそ役立つのである。論理的に正しい推論はその適用される状況に正しく適合してこそ、適切な内容をもつ正しい推論として認められる。

*最近日本でも東京医科大学の不正入試が話題になったが、その際の男女差別の合否基準と上記のカリフォルニア大学での男女差別の合否基準は大変違っている。では、男女差別のない入学試験とは何を指すのか。これも論理以外の理由が判断の違いをもたらす例となっている。

 次の幾つかの問題を考えながら、推論のもつ力とその特徴を直観的に理解してほしい。

(問)「奇数に奇数を加えると偶数になる」という文と総計の誤謬を比較し、共通点を挙げなさい。
(問)「クラスAは性質Cをもち、クラスBも性質Cをもつので、クラスA∪Bは性質Cをもつ」という言明が正しくないことをシンプソンのパラドクスを反例に使って証明しなさい。

(問)サイズのない粒子(幾何学的な点)はある体積の箱にどれだけ入れることができるでしょうか。また、その箱の2倍の箱にはどれだけ入れることができるでしょうか。

(問)サイズのない箱はあるでしょうか。「何も入れることができないものは箱ではない」と「サイズのない箱がある」とから矛盾を導き出し、問に答えてみなさい。

(問)サイズのない点を見ることができたとすると、どのような不都合が起こるか述べなさい。

(問)サイズのある点があったなら、その中で一番サイズの小さい点はあるだろうか。