アリストテレスの推論についての理論:三段論法(Syllogism)

 アリストテレスは桁外れの天才、それも万能の天才である。そんな天才でも先生のプラトンや生徒のアレキサンダー大王とは色々と確執があったようである。天才の業績の一つが論理学であり、何とそれは20世紀初頭まで世界中の大学で「形式論理学(formal logic)」として実に長い間教えられ続けてきたのである。
 彼の論理学は自然言語(彼にはギリシャ語)の文法に基づいており、それゆえ、基本の言明の形は「AはBである」という、AとBの二つの名辞(項)が「である」で結ばれた形である。文法上の主語は一つであり、一項述語によって表現できるのが基本文型となる。これは確かに文法では正しいのだが、論理的な基本文型ではない。それが明瞭に把握されるには19世紀末のフレーゲまで待たねばならなかった。言語と論理はアリストテレスでは違った構造をもっていなかったのであるが、今の私たちには言語と論理ははっきり違う規則をもつものなのである。結局、アリストテレスの論理学は誤っていなかったのだが、適用できる範囲がとても狭く、数学などでの推論には役立たなかった。そのため、どの大学の基本カリキュラムにも入っていた「論理学」は役に立たないものと見做されていたのである。
 私の経験を述べても大した意味はないが、大学に入学してすぐに履修したのが「形式論理学」。恐ろしく退屈で、途中で授業に出なくなったのだが、それがアリストテレスに始まる論理学だった。二年生になり、「記号論理学」なる科目があり、これは今の論理学で、内容は論理計算だった。まるで異なる二つの論理学を経験したのが私の青春だった。私はアリストテレスの権威とその改訂版を逐次的に学んだことになる。
 ここではアリストテレスの論理学の中で彼が開発した三段論法についてだけ述べることにしよう。アリストテレスは推論が言明(命題、より具体的には文)によって表され、二つの名辞(項、term)M、Pが「MはPである」ように結ばれた言明を推論の構成単位であると考えた。そのため「名辞の論理学」とも呼ばれてきた。そして、推論を構成する基本になる言明を次の4つに分類した。

すべてのMはPである     全称肯定型 A
すべてのMはPでない     全称否定型 E
あるMはPである     特称肯定型 I
あるMはPでない     特称否定型 O

(問)「すべての人間が善人とは限らない」は上の4つの基本型のいずれでしょうか。

アリストテレスは推論の構成単位になる言明を定めた上で、推論は二つの前提から一つの結論を導き出す形が基本であり、それらを組合せることで複雑な推論をつくりだすことができると考えた。二つの前提から一つの結論を導く基本的な推論が三段論法と呼ばれるものである。正しい推論は、したがって、正しい基本的な三段論法がわかれば、それらを組合せることによって、その正しさを証明することができる。これは、推論の内容からではなく、三段論法の正しい組み合わせという形式から、推論が正しいか否かが説明できることを意味している。
 では、正しい三段論法はどのように与えられるのか。その説明は大変長くなるので省略し、アリストテレスらによって確立された結果だけ格式表を使って見てみよう。下の二つの表を組合せると正しい三段論法がつくり出せるようになっている。

三段論法の格式表(1)
    第一格  第二格  第三格  第四格
大前提   MP   PM    MP   PM
小前提   SM   SM    MS   MS
結論    SP   SP     SP    SP
(2)
第一格   第二格   第三格   第四格
AAA        AEE       AI I        AEE
AI I          AOO      IAI           IAI
EAE        EAE     OAO        EIO
EIO         EIO       EIO

 (1)は大前提、小前提と呼ばれる二つの前提に登場する言明の中での二つの名辞の並び方である。結論も同様である。(2)はそれぞれの格での前提二つと結論の言明の基本型である。例えば、(1)の第二格は「PはMである」、「SはMである」を前提にし、「SはPである」を結論とするような三段論法ということになる。これでは言明の型がまだわからない。そこで(2)より言明の型を見つける。同じように第二格を見ると最初の段はAEEと書かれている。最初のAEは前提二つの型を示し。最後のEは結論の型を示している。第二格の残りのAOO、EAE、EIOについても同じである。そしてこの4つの並び方はいずれも正しい三段論法の種類を表している。
 第三格のAIIを考えてみよう。第三格であるから、まず(1)で名辞の並び方を確認し、次に(2)の第三格の型を確認する。すると、

すべてのMはPである
あるMはSである
それゆえ、あるSはPである

という三段論法の図式が得られる。M、P、Sにそれぞれ名辞「人間」、「動物」、「日本人」を代入してみると、

すべての人間は動物である
ある人間は日本人である
それゆえ、ある日本人は動物である

という三段論法の推論が得られる。この推論の内容はつまらないが、内容とは関係なく、この推論は文句なく正しい。このように格式表を使って正しい三段論法を半ば自動的につくりだすことができる。

(問)格式表を用いて、次の推論が正しいかどうか調べてみよう。

すべての人間は動物である。動物はみな生物である。
それゆえ、すべての人間は生物である。

女性のなかには内気な人がいる。内気な人は積極的でない。
それゆえ、女性はみな積極的でない。

 格式表を使えば正しい三段論法がすべて網羅できるという驚異的な結果はアリストテレスの論理学の大きな成果だった。では、どんな推論も三段論法で扱えるのだろうか。そこで、次のような推論はアリストテレス的な方法で扱うことができるだろうか考えてみよう。

(1)
3は4より小さい。
4は5より小さい。
それゆえ、3は5より小さい。
(2)
人間はみな動物である。
それゆえ、人間の細胞は動物の細胞である。
(3)
人間は理性的であると信じられている。
それゆえ、人間は理性的である。

格式表を使って三段論法をつくろうとすると困るはずである。というのも、(2)や(3)は前提の数が足りないし、(1)の各言明、(2)の結論、(3)の前提は4つの基本型を使って表現できない。表現できない理由は問題を解く人の能力にあるのではなく、これらは基本型ではそもそも表現できないからである。(「人間の細胞は動物の細胞である」は確かに全称肯定型で表現できるが、前提の「人間」や「動物」を名辞にした文型と関連がつかなくなってしまう。したがって、前提と結論が関連するような表現は得られない。)このような簡単な推論についてさえ三段論法でうまく扱うことができないとすれば、三段論法は役に立たないということになるだろう。むろん、私たちは自分がした推論が正しいかどうかを推論の内容から直観的に判断しているので、三段論法が使えないから不便であるとは感じていない。不便と感じないこともあって、19世紀までは推論する人の直観、経験等によって推論の正しさをその都度確認することで大抵は済ませてきた。その間に、三段論法は実際の証明や推論に使うことのできない不毛の装置と見なされるようになっていった。
 では、4つの基本型で上の言明が表現できない理由は何なのか。「3は4より小さい」、「人間の細胞は動物の細胞である」、「人間は理性的であると信じられている」という言明を基本型と比べたとき、どのような違いがあるのだろうか。最後の言明「人間は理性的であると信じられている」は、事実について述べた「人間は理性的である」と違って、その言明に対する私たちの心的態度を表現している。この違いを無視すると誤りに陥ることを私たちは経験的に知っている。

 アリストテレスの三段論法は自動的に推論の正しさを判定できる形式的なシステムであり、それを生み出したアリストテレスの天才に驚嘆するしかないのだが、そのシステムは意外にも見掛け倒しで、推論のほんの一部しかカバーしていないことが19世紀末にわかるのである。そのことによって、それまでは誰も直観的に正しく推理してきたことがシステム化され、20世紀以降の記号論理学の普及と応用につながるのである。